『貧乏物語』十一の四 わが国でも…

現代語訳

わが国でも、すでに230年前に『金銀万能丸』が出ている。つまりは社会組織そのものが、すでに利己心是認の原則を採っている。誰でもうっかり他人の利益を図っていると、「自分自身または自分の子孫があすにも餓死せぬとも限らぬ」という事情の下に置かれている。だから利他奉公の精神が大いに発揚されないのも、もまたやむを得ないことだ。

私は先に、利己主義(個人主義)者を利他主義(国家主義)で組織するのは、石をぺらぺらの布で包むようなものだと言った※1。しかしだからといって、個人を改良してから社会組織を改造すべきかといえば、ここまで述べたように、個人の改造そのものが、社会組織の改良なしにはできない。

だからいくら議論しても、鳶(とんび)が空を舞うように、問題はいつまでも堂々巡りできりがない。この因果のきりのなさに、複雑きわまりない世相人情の真相がある。だから私は、社会問題を解決するためには、社会組織の改造に着眼すると同時に、社会を組織している個人の精神の改造を重視して、この二つを攻めて理想郷に入ろうと思う。

財産がなくても立派に振る舞い、貧しく地位がなくてもそれにふさわしく過ごし、困難に対しては真っ直ぐ立ち向かい、どんな境遇でもするべき事を心得ているのは、もともと立派な人間だけだ。だから自負心のある者は、自分で自分を責めればよい。しかしこのやり方で一切の民衆を躾(しつ)けようとしても、それは薪(たきぎ)を湿らせて燃やそうとするようなものだ。

これでは世の中の運営法として、あまりに偏っている。だから貧乏を恥じる連中とは、何を話しても無駄だと言った孔子も、〔弟子の〕子貢に政治の要点を聞かれたときには、まず腹一杯食べさせてやりなさいと言った。

孟子もまた、民にはほどほどのお金が手に入るようにして、豊作の年にはのんびりと、凶作でも飢え死にしないようにした上で、民がまじめになるよう仕向けるのが、立派な殿様だと言った。私が今、社会問題の解決策として、経済組織の改造を取り上げるのも同じ理由だ。

しかし、丈夫な基礎工事無しに立派な家はできないのは本当でも、丈夫な基礎さえできたら必ず立派な家ができるわけではない。人はパンなしでは生きられないが、パンだけで生きているわけでもない。だから孟子は、財産がなければまじめ精神は育たないとは言ったが、財産がある者は、必ずまじめだとは言っていない。

いや、孟子は財産無しではまじめになれないと言い出す前に、「無知無教養な連中は」と付け加えている。さらにその前に、「財産無しでも立派に行動できるのは、もともと立派な人間だけだ」と言っている。だから世の教育者は、社会の事情や周囲の風潮がどのようであっても、それに打ち勝ち乗り越えて、孟子の言う「財産無しでも立派」に振る舞える、「もともと立派な人間」を造り出すのが任務だ。

実はそういう人間が出て社会を指導していかないと、社会の制度組織は簡単には変わらない。またどんなに社会の制度や組織が変わっても、到底理想の社会を実現することは出来ない。言い換えればそういう人間さえ出てくるなら、たとえ社会の制度組織が同じでも、確かに立派な社会が実現できる。

そうなれば、貧乏根絶もあっという間に実現する。この意味で、一切の社会問題は、全て人の問題だ。

さて話が人の問題に行き着いた。つまり私の議論はすでに、社会問題解決の第三策※2を終えたところで、また第一策に入ったわけだ。
(12月12日)

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訳注

※1)石をぺらぺらの布で包むようなものだと言った:十の五参照。

※2)社会問題解決の第三策:八の一参照。

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