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『貧乏物語』とは

貧乏物語』は、京都帝国大学教授、河上肇(かわかみ・はじめ)先生の論説。第一次世界大戦期に、貧困の現状と原因と解決を論じた、もとは新聞連載をまとめた書。

訳者まえがき

この現代語訳は、もともと訳者のブログに掲載していたもの。受験知識としてしか知らなかった河上先生を、よく知りたいという動機から訳し始めた。
むろんブログコンテンツとして、いわゆる客寄せパンダのつもりもあったのだが、それは泉下の先生に対して失礼に当たる。だが、すでに世に出てから100年になるこの一編は、現代人の多くにはほとんど外国語だろう。

幸いにもシノロジストとして、また編集者・国語教育者として、一世紀前の世情と文の読解にいささか通じていた私は、先生の文章を訳し世に出すにふさわしいと思った。このままでは図書館に眠るであろう珠玉を、世間に残す作業には意味があるだろう。

ならば先生もきっと、お許し下さるのではないか。そう考えweb上に置くことにした。

私は先生とは思想的に反対で、経済の自由を好む。だが世の悲惨を見て、帝大教授として出来ることは何かを考え続けた先生のご生涯は、敬服に値する。それがついには、先生ご自身やご家族の一生をも巻き込み、焼き尽くす結果になったと知っても。

竹田博士に、未央宮(びおうきゅう)の古瓦にて作りし硯と称するを貰ひ受けて
焼け死にて むくろもそれと 分かぬ日は この硯をぞ 墓に埋めよ

(昭和二十年七月十三日に先生が詠んだ歌)

もし、いわゆる左派の人たち全てが先生のようであったなら、日本はもっと良くなっていたかも知れない。また、平沼騏一郎と河上先生が、弾圧する側・される側の関係にありながら、共に国家統制主義を唱えたことは、戦前日本を理解する鍵かも知れない。

なお、訳文・再作成図表の引用は、出典明記ならご随意に。但し諸権利は放棄しない。無断商用利用・剽窃は禁止。学術・出版関係者は特にご注意願います。

と書いておくが、私には防ぎようがない。南方熊楠先生が手紙を書くたび、帝大教授やら何やらが自分の論文として発表したように。私は熊楠先生のような偉人ではないが、帝大教授のような人たちが半数を超えるなら、民主主義国の日本はこれから、もっと悪くなっていくに違いない。逆も又同じ。

『貧乏物語』連載より100年めの、2016.03.30
訳者・九去堂

出典・凡例

訳文の原文は
青空文庫(岩波文庫版) http://www.aozora.gr.jp/cards/000250/files/18353_30892.html
国会図書館(弘文堂版) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088344
に依った。

河上先生の肖像写真は、wikipediaから拝借し、トリミング・レタッチした。

訳文中、*は原注、※は訳注。〔〕、および下記スタイルの補足情報は訳者による挿入。

×××××××× ×××××× ××××

各ページのタイトルに、本文の冒頭を付けたのは訳者。見出しとして、ナニのナニだけではわかりにくいから。
第十三部は訳していない。その理由は、十三の三の訳注に記した。

それでは拙訳をご覧下さい。

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