『貧乏物語』十一の三 私は上編で…

現代語訳

私は上編で、今日多数の人々が貧乏線以下に沈んでいる様子を述べた。これらの人々は孟子の言う、財産がない者のうちでもとりわけ貧乏な者だ。

だから孟子の言うとおり、カネがないからめちゃくちゃなふるまいをし、やらない悪事など無い。仲良くまじめに暮らさせようなど無理なことだ。

私が経済の問題を、世の中で最も末の問題で、しかも最初の問題だと言うのは、これが理由だ。

その説明として、現代の経済組織が人の心に及ぼす影響を述べよう。すでに説いたように、金さえあれば便利しごくな代わりに、金がなければ不便この上ないのが、今の世のしくみだ。すでに世のしくみがこうなっている。

そこで世間の無知無教養な連中は、いっさい万事、金が全てだと心得て、義理も人情も打ち捨てて、互いに金をつかみ合う様子は、飢えた獣が腐った肉を取り合っているのにそっくりだ。

いや、無知無教養な連中に限らない。時には一代の豪傑も金のために買収され、一時の名士も往々にして金のためには良心を売り、このようにしてついには上下こぞって、極端な個人主義、利己主義、唯物主義、拝金主義に走るに至っている。

思えばこのような状況は、私がここに今さららしく書きつづるまでもなく、早くより見る目のある社会観察者が気付いたことだ。ここでわが国の古書を読んでみよう。

たとえば、あの『金銀万能丸』(後に『人鏡論』と改題され、さらに『金持重宝記』と改題された。今は『通俗経済文庫』に所収)は、今から約230年前、1687年(貞享4)に出版されたものだ。

それを見ると、僧侶と儒者と神主とが三人寄り合って、しきりに世の乱れを嘆いている。そのそばから道無斎という男が、盛んに拝金宗を説きたててひやかすという趣向で、全編が出来ている。その道無斎が、なかなかうがったことを言っている。

まず四人同道で、伊勢神宮へお参りに京都を出る時に、道すがら三人の者がそれぞれ詩や歌を詠む。道無斎がそれを聞いて、べらべらと次のような説法を始めた。

「皆さんの和歌も漢詩も、ぜんぜん道理にかなっていません。おもしろくもありがたくも聞こえるのは、ただ黄金だけです。〔有名な歌枕の〕日枝の紅葉、長柄の錦、横川の月、これらをご覧になっても、金がなくては全然おかしくもおもしろくもないでしょう。

まったく世の中では黄金を持っていてこそ、天も地もいま見えるように見え〔、まことにご風流な歌のタネにな〕るわけで※1、つまりは万物は全て黄金が作ったのです。だから金儲けこそ、世の中で最大第一の急務です。

だから仏様も色々とお説教なさった中で、ともすれば金銀宝石とおっしゃって、七宝※2の第一だとお説きになった。十万の浄土もその飾り付けは何かと問えば、どれもこれも黄金ずくめです。孔子も老子もお説教の中では、今日貰える給金を第一にお説きになりました。」……

道無斎は勢いに乗って、さらに次のような物語をする。

「先日のことですが、いかにもな大金持ちを連れて、黒谷へお参りに行きました。途中で高僧に出合ったところ、この道無を見もしないで、頼まれもしないのに〔寺へ引き込んで〕、その金持ちをもてなしました。その高僧の言うにはです。

「さてさてご熱心なご参詣ですじゃ。仏法について、どんな奥義でもお尋ね下され。宗門の伝える限りを残さずお話ししますじゃ」と言って、まことに焼け鼠を見つけた狐※3のように〔喜んで〕、躍り上がり走り回って、手をかえ品をかえてもてなしました。

しかしそれを見てもこの道無は、かねてから金の世の中と存じておりますので、すこしも騒ぎません。ちょっと用があるふりをして門前に出て、小石を銀二枚ほど紙に包んで懐に入れ、元の座敷に居直りながら高僧に、懐より差し出してこう言いました。

「先日、目に入れても痛くない孫を一人失いました。まったくこの老いぼれめが生き残り、若木の花が散ってしまったのを見て、つらく悲しむこの気持ち、どうかお察し下さい。せめて供養のために、寸志を差し上げます。」と一包み差し出したところ、高僧見る見るうちに顔をほころばせて言いました。

「これはこれは道無殿、ご貴殿は物惜しみせぬ真っ直ぐなお人じゃ。お念仏も人に聞こえないようになさるという噂、いつも京都で持ちきりと聞きますじゃ。必ずや極楽往生間違いなしの、熱心なお仏弟子でござらっしゃる。このようなお人は都広しといえども、ほかに一人もござらっしゃるまい。

おいおい小僧ども、あの道無殿のお供の人にも、お酒※4をたっぷり差し上げなさい。こうなっては道無殿へも、一門の秘法ではございますが、このようなご信心の方に伝えねば、開山の御心にもそむく事になりますじゃ。」

というわけで、念仏の秘法を即座にお伝えになる。この時この道無が思ったのは、それにしてもお金の威光功徳は深いことだよ、ちょいと石をお金に似せただけでも、コロリと人の心は変わる。ますますそのご威光を有り難く存じました。

お金さえあれば、極楽世界も遠くない。貧乏人はたとえ間違いで極楽に行っても、元来カネ好きの極楽ですから、まわりの連中にいじめられて、追い出されるに決まっています。こうやって見ると、やはり仏道の奥義もカネ次第ですなあ。」

だから怒ったり憤ってはいけない、今の人がしきりに利欲に走ることを。230年前、すでにこう言った人がいるのだから。
(12月11日)

訳注

※1)天も地もいま見えるように見えるわけで:原文は次の通り。
ただ世の中は黄金にこそ天地もそなわり、万物みなみなこれがなすところにして、人間最第一の急務にてはべるなり。
古文は日本語で、それゆえ単に古語を現代語に置き換えた直訳こそ正しい、そういう立場は理解できる。ただしそれでは河上先生の言う、「なかなかうがったことを言っ」たことがわからないので、大胆にこう訳した。

※2)七宝:仏教で、尊いとされる七つの珍宝。顕教系では各色各種の貴金属貴石とされるが、金銀が筆頭に来るのはどの経も変わらない。一方密教系では、転輪聖王(てんりんじょうおう。お説教ではなく世界征服を選んだ仏)の持つべき宝として、黄金・宝石のほか女、将軍、象、馬、税務署員が挙げられている。

取りはぐれしない税務署員は、なるほど君主にとって宝だろう。聖王を演じざるを得なかった清の皇帝も、他の6つと共にこれを玉に彫り、身の回りに飾ったのが、北京の故宮博物院に収められている。署員を数に入れた、おそらくはインドの無名僧は卓見と言うべきだが、いずれにせよ黄金が七宝筆頭であるには違いない。

※3)焼け鼠を見つけた狐:日本の古典では、狐の好物は炙ったり揚げたりした鼠ということになっている。狂言「釣狐」でも、狐はワナとわかっていつつ、「食いたいな~、食いたいな~」と揚げ鼠のまわりを巡り、ついつい釣られて身を滅ぼす。

※4)お酒:実在の仏陀は酒と女性が嫌いで、その教えの変形である日本仏教にも、不飲酒戒(ふおんじゅかい)の戒めがある。ここでは僧侶の飲酒は、はっきりとは記述されていないが、そもそも僧坊に酒があるのがおかしい。実際には般若湯(=チエの出るクスリ)と称し、おおっぴらに、または隠れて飲んでいた。

古典落語の種本として知られる、中国明代の『笑府』にも、僧の飲酒をからかう話がある。貴人が僧侶と対して、
「ご坊は酒は飲むか」「普段は飲みませんが舅とちょくちょくやります」「ナニ妻がおるのか。役所に訴えて僧の身分証を取り上げてやらねば」「はっはっは。盗みがバレてとっくに取り上げられております」
…少なくとも、嘘つくなの戒めだけは守っている、と評語が付く。

河上先生引用の話は、いわゆる坊主丸儲け、の一端を示すものだが、精神的に、また戸籍管理・身分証明などの公的機関として、江戸時代は今よりはるかに、仏教の権威が高かったことも思うとより面白い。同時に幕府による監視も厳しく、寺社奉行によって断罪された破戒僧も少なくない。

寺社奉行は江戸幕府の三奉行(町・勘定・寺社)の中では格上で、唯一大名が就く職だった。一例が江戸後期の寺社奉行、脇坂安董(わきさか・やすただ)で、谷中延命院一件(僧侶と大奥の密通事件)で破戒僧を死罪に処している。

その後、女性関係の密告と言うから、多分に仏教勢力の関与が怪しまれる理由で解任となったが、16年後に再任した。仏教界の乱脈には、幕府内によほどの嫌悪感があったことが想像できる。その際「また出たと 坊主びっくり 貂の皮(=脇坂家の馬印)」と、ざれ歌が詠まれた。

なお現代では、坊主丸儲けに加えて、本来坊主丸坊主であるはずが剃りもしないのが多い。それにつれて仏教の権威も低下しているが、権威をからかうから面白いのであって、現代では文中の高僧のおかしさが減じるのも、やむを得ない。

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