『貧乏物語』三の五 英国で食事公給…

現代語訳

英国で食事公給条例ができ、貧乏人の子は国家が引き取り、親に代わって養うことにした事情は、私が前回述べた通りだ。しかしそれにしても、本来個人主義の本場として、自由放任を重んじ、国家は個人の私事にできるだけ立ち入らないことを国風としている英国で、このような法律が発布された事は、一葉落ちて天下の秋を知る※1とでも言おうか、実に驚くべき時勢の変りようだ。

日本では、大阪なり神戸なりから、ちょっと四国へ渡るにも、船に乗れば、私たちは必ず船員から、姓名、住所、年齢等を聞かれる。もし旅から旅へ流浪したなら、一泊するごとに、至る所の宿帳へ、やはり同じような事を一々記録していかねばならない。

こんな干渉主義の国がらに育った私は、むかし初めてロンドンに入った時、ホテルに泊まろうが、下宿屋に住もうが、どこへ行っても、姓名も国籍も何一つ届け出なくてもよいのを見て、いささか意外の感をいだいた。普段の英国は、書生が来ようが商人が入ろうが、美人でも醜婦でも、学者でも泥棒でも、出入り全く自由で、まるで風の吹き込むまま雲の流れ込むままに任せているようなものだ。

ロンドンにしばらく住まったのち、私は同僚のK君※2と南方の農村に移ったことがある。異郷の旅に流浪する身は、これはまぁしかたがない。だからかたつむりの旅のように全財産を携えて、わずかとはいえそれでもトランクやスーツケースに相応の荷物を詰めて、なにがしの駅から汽車に乗り込んだ。

イギリス・ヨーク州のの車窓風景

イギリス・ヨーク州の車窓風景(原文に無し、訳者撮影)

行けども行けども山は見えず、日本と同じ島国とはいえ、その地勢が著しく違っているのを珍しく思いながら、進んでいくと、やがてなにがしという駅に着く。ここでわれわれは乗り換えなければならないのだが、その時私の驚いたのは、ロンドンの駅ですでに汽車に預けてしまった荷物も、乗り換えの時に自分の荷物は自分で注意して、乗り換え列車へ運ばなければならない事だった。

日本などでは、一たん荷物を預けてさえおけば、あとは途中何度乗り換えても、預けた荷物はなんの気づかいなしに、ちゃんと目的地まで運送してくれる※3のだが、英国ではそうはいかない。見れば多くの旅客は勝手に貨車の中に入り込んで、軽い貨物はさっさと自分で持って逃げる。重いトランク類は、赤帽を呼んで(赤帽といっても、赤い帽子をかぶっているのではない、手荷物運搬夫は英国では赤いネクタイ※4を締めているようだ)、これとこれとが自分のだから、何々行きの列車に持ち込んでくれと、それぞれ自分でさしずをする。

全く自由放任だが、それで荷物が紛失もせず間違いもせず、諸事円満に運んで行くのなら、英人の自治能力もまた驚くべしといわなければならない。もう少し油断すると、私らの荷物はとんでもない方面へ運送されてしまうところだったが、幸いに早く気づいたので、別に失態も演じず、無事に列車を乗り換え、三等室のかたすみに陣取って、そこで私はおのずから、 each for himself(おのおの自分で)という、かねてから日本語にはうまく訳しにくいと思っていた、この一句を思い出した。

実に英国は、 each for himself の国である。ところが今この英国で、子供の養育などという、家庭の自治に任せ切るべき問題に、国家が立ち入り、公共の費用でこれをまかなうことにしたのは、つまりはこの国の政治家が、貧乏が国家の大病であることを、極めて痛切に認めるに至った証拠だ、と言わなければならない。
(9月28日)

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訳注

※1)一葉落ちて天下の秋を知る:『淮南子』(えなんじ)説山訓より。小さな兆しを見て、世の中など大きな事柄が動くのを察することを言う。多くは、動く=衰える、との意味で使われる。

※2)同僚のK君:河上先生の随筆「断片」より、河田嗣郎と思われる。

※3)現代日本では、列車の乗客は手荷物を各自手に持つのが原則だが、欧米では航空機同様、手に余る荷物を鉄道に託送し、持ち込み荷物も赤帽に運んで貰う事が出来た。国鉄時代の日本もそれにならい、新幹線を除くほとんどの長距離列車には荷物車が連結され、主要駅には赤帽が待機していた。詳しくはチッキを参照。

※4)原文は「ネキタイ」。

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