現代語訳
五重の塔を建てようとする人は、まずその土台を丈夫にしなければならない。花を愛でようとする者は、必ずその根に栄養をやることを忘れてはならない。肉体の欲望は、人間の欲望の中でいちばん下等で、とりわけ色ごと食うことの二欲は、最も低級ではあるが、しかし低級だけに土台でもあって、一般民衆にもそれを適度に満足させることは、やがて社会の基礎を固くし、国家の根本を養う基本だ。
私はこういう意味で、あの食物公給条例を制定した英国指導者の所業を、賢明だと評価する。それと同時にわが国でも、せめて大都会の貧民区だけでも、さしあたっては民間の慈善事業でもいいから、早くこの種の施設が実現されることを切望する。
食物公給条例が英国の下院で問題となった時の、ウィルソン氏の演説の結語、「ある人は、このような事業は民間の慈善事業に任せろと主張するかもしれない。しかし私は、この大切な事業を民間に任せっぱなしにしてから、もううんざりするほどの時間が過ぎたと考える。私は満場の諸君が、人道及びキリスト教の名において、この案を可決されん事を希望する」という一句は、すでに前回に掲げた。
それを踏まえれば、いかに国情が大層違うとはいえ、私はこの大切な事業が、わが国では民間の慈善事業としてさえ、未だに人の注意を引いていないことを、いささか残念に思う。
もし食物給与の一事が、国民の体質改善のため、はたしてどれほどの効果があるかと疑う人がいるなら、私はそれらの人々に、英国ブラッドフォード市※1で行われた、実験的研究の一部を紹介してみたい*。
* Louise Stevens Bryant, School Feeding : Its History and Practice at Home and Abroad. Philadelphia, 1913.
先述した英国の食物公給条例は、スイスのような強制規定ではなく、実行するもしないも、各地方の自由裁量だ。だからブラッドフォード市も、この条例の発布後、これに基づいた大規模な給食を始める前に、その効果について様々な、綿密な調査と実験を試みた。
はじめにやったのは、小学児童の体格検査だった。その結果によると、やはりこの地でも栄養不足のために、教育を充分に受け入れられない者が、決して少なくないことがわかった。
(すなわちブラッドフォード公立小学校※2に通学する、すべての児童の体格検査を行なった後、博士クローレイはさらに2千人の児童を検査した。氏は結果から推算して、同市の小学児童約6万のうち、少なくとも6千人は栄養不足で、いわゆる「食物の欠乏のため、教育を充分に受け入れられない状態」にあることを結論した。)
そこで次に、これらの児童を対象に、食物以外の生活状態は元のまま、ただ食物だけ改良して、それがどれほど効果があるかということを問題にした。そうしてこの問題の解決のために、1907年中、次のような実験をした。
すなわち明らかに栄養不足な児童を40人選び、給食を始める前、まず5週間にわたって体重を計り、彼らの平均成長率を計算した。その上で4月17日から7月24日まで約3ケ月、児童の生理的要求に応ずるよう慎重な注意で献立された食事を、毎日2回ずつ与え(ただし日曜日にはなし、加えて5月16日から27日は、一時的に中止した)、1週間目ごとに体重と身長とを計り、またその他の様子も記録した。
その一方で、これらの受験児童と同じ年齢同じ状態、同じ社会階級に属する児童69人を選び、これには食事を与えず、ただその身長と体重とを同じように計り、その成績がどれほど違うかを試験しようとした。
(9月30日)
訳注
※1)ブラッドフォード市:
※2)初等公教育が英国(イングランド)で始まった時期は、日本(1872年学制発布)とさほど変わらない。wikiによれば、1870年発布の初等教育法まで公立小学校はなく、いわゆる寺子屋・私塾のたぐいしか英国にはなかったという。
本文にある食事公給条例が1906年に議会を通過した後、1918年の教育法で、公立小学校の学費は無料となった。これが現在の日本のように、学費は有償だが教科書は無償、という制度とどう違うか、つまびらかにしない。ただし現在のイギリスでは、教科書は無償という。