『貧乏物語』訳者あとがき

ある者が栄え、ある者が滅ぶのはなぜだろう。これは私だけの問いでは無かろう。

ある人は言う、それは当人の努力だ。しかしどんなに努力しても、ただ食べることすら出来ない人々がいるのは、河上先生のお説の通りだし、今なお私がニュースとして伝え聞くところ。

ある人は言う、それは持って生まれた資質だ。だが数学の天才としてインドに生を受け、たまたま見つけたイギリス人に連れられてロンドンへ行った少年は、数多くの定理を発見したものの、風邪を引いて死んでしまった。

それそのものが悲劇ではあるが、そもそもそのイギリス人がいなかったら、変わり者のインド人として、一生を終えたに違いない。

結局どちらが良かったのか、私にはわからない。

ある人は言う、結局全ては運だと。確かに、身分高く大金持ちに生まれたら、普通の人が感じる不幸は一切知らないまま、一生を送れるに違いない。では彼には苦悩がないのか? 王子に生まれたお釈迦様が、なぜ出家などしたのだろう?

それに凡人としての私にとって、そういう高貴で富んだ人たちの話は参考にならない。私の身分、私の財産ではないから。ましてや、ねたみや恨みを抱けば、私が不幸になるばかり。だから貴族はいないのも同じだ。

河上先生はほどほどに富んだお家に生まれ、たぐいまれな才能を持って世に出た。京都帝国大学教授・経済学部長になれたという、希有の運もあった。そしてこの『貧乏物語』のように、不幸な人々を哀れむ高い人間性もお持ちだった。

そのためなら、身を焼き尽くしても恐れない勇気がおありだった。

それゆえに先生は大学を追われ、当時で言うアカとして世間からも追われ、ほとんど逃亡者のような生活を送った。治安維持法の下では犯罪者のレッテルを貼られもした。さらに悲しいことには、家族は犯罪者の一族として追いやられ追いやられ、義弟と令嬢は、日本初の銀行強盗にまで手を染めもした。

だから私は、先生の『小国寡民』を涙無しに読み得ない。先生が理想郷として見ていたソ連で当時、どんなに大勢の人が弾圧され、極寒の奥地へ流刑に処せられ、罪なき人が無慈悲に虐殺されていったかを知っているから。

またある人は、不幸の原因をこういう。それはナニナニ様を信じないからです。不確定性原理によって、宇宙に絶対はない、と数理が証明したのはつい最近のことだ。だからそれをご存じなかった先生が、コミュニズムに夢を見たことがどうして悪かろう。

先生の資質と努力と運は、先生を滅ぼしたかのように見える。資質も努力も運も、つまるところ確率だが、なんと冷徹なのだろうと戦慄もする。一切の生物非生物が、一つ残らず滅ぼされるという宇宙の法則は、たぶん数学的に確率となって人に見えるのだろう。

だからこそ。

一切の生物非生物は平等である
人は自由になりうる
解放される唯一の手段は、過去を正しく知り、未来を正しく考えること

に違いない。

思えばそれを私に教えたのは、お釈迦様であったり、エピクテートスであったり、マルクス・アウレリウス・アントニヌスであったりした。ガウスを初めとする数学の天才、宮本武蔵に代表される武道の達人でもあった。

そうした、私を教えた先哲の中に、河上先生も確かにいらっしゃる。河上先生、お教え下さり、ありがとうございました。

16.03.30
一世紀後の弟子 九去堂

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