現代語訳
アダム・スミス以前にも、貨幣や商業や土地の改良など〔、要するに経済〕について、有意義な著作は少くなかった。しかしこれらのものは、みな当面の事件をただ時事問題として取り扱ったので、いずれもその時々のいきあたりばったり、話がばらばらで、互いになんの関連もなかった。
それをスミスが、利己心是認の思想でつなぎ合わせ、経済とは何かについて組織的に解釈した。それが、彼の生命の大半を奪った仕事だった。しかし彼自身の生命が失われたからこそ、死んだ離れ離れの材料に生命が流れて、経済学という一個独立の学問が、初めて産まれた。彼が今日に至っても、なお経済学の父と呼ばれる理由はこれだ。
彼は、各個人が各自の利益を追求するのはいいことだ、と言った。これに何の束縛も加えず自然のままに放任することで、やっと社会は繁栄できるし、最大多数の幸福を実現できるとも言った。この思想が土台になって、英国正統経済学派の特徴である経済上の自然主義・楽天主義・自由主義・個人主義や自由競争主義などが生まれた。
スミスは言う。「人間はほとんど絶えず他人の助けを必要とするが、しかしただ単に他人のお情けで助けを得ようとしても、決してその望みをかなえられない。逆に他人の利己心に訴え、自分を助ければ、彼らにとっても得であることを分からせたら、簡単に望みがかなうだろう。」
「われわれの飲食物は、肉屋・酒屋・パン屋などのお恵みではない。彼らは彼ら自身が儲かるから、われわれに提供したのだ。われわれは彼らの慈善心に訴えない、ただ彼らの利己心に訴える。われわれが彼らにする話は、決してわれわれ自身の求めについてではなく、ただ彼らの利益についてだけだ。」(『国富論』キャナン校訂本、巻一、16ページ*)
* Wealth of Nations, Cannan’s ed., vol. 1, p. 16.
彼はこのように、社会のあらゆる産業の営みは、各個人の利己心が活動した結果だと見抜いた。だから経済政策としては一二の例外のほか、すべて官営に反対して民営を主張し、保護干渉に反対して自由放任を主張した。
「だから一切の保護干渉を取り去って、自然な自由という明白簡単な制度が、自然に立てられるようにするといい。この制度が立てられたら、各人は正義の法を犯さない限り、好きなように利益を追求できる。また誰の事業や資本に対しても、自分の事業と資本で、心のままに競争できるだろう。」(同上巻二、184ページ)。
私はスミスの思想についても、ここで詳しく語る余裕がない。しかしわが賢明なる読者は、上に記した一二の抜き書きで、その個人主義がだいたいどのようなものかを想像できるだろう。
思えば個人主義・放任主義が、広く人心を支配して久しい。しかし『国富論』の公刊から140年、たまたま世界未曾有の大乱※が起きたのを機会に、諸国の経済組織はその姿を変えようとしている。
なぜだろうか。もし個人主義の理論的欠陥を私が理解できたら、おのずから時勢の変化の理由も理解できるだろう。だからどうか、その話を少々させてください。
(11月30日)
訳注
※世界未曾有の大乱:第一次世界大戦のこと。なおこの回が掲載された約1年後の11月7日に、ロシア十月革命(ロシア暦はだいたい半月ずれる)が勃発し、後にソ連の成立へと繋がる。しかしこの時点では予想も出来ず、ロシアを種にして反自由主義の話をできる状態ではなかった。