『貧乏物語』九の二 全く今の世の中…

現代語訳

全く今の世の中のしくみは、金のある者にとっては、まことに便利しごくである。現に私のような者も、多少の月給をもらっているおかげで、どれだけ世間のお世話になって便利を感じているかわからない。

まず手近な食べ物について考えても、何一つ私は自分で手を下して作り出した物はない。私は春が来ても種をまく心配もせず、二百十日が近づいても別に晴雨を気にするほどの苦労もしていないのに、間違いなく日々米の御飯を食べることができる。

その米は、私の何も知らないうちに、日本のどこかで誰かが、少くない苦労を掛けて作り出したものだ。それをまた誰かが、さまざまのめんどうを見て、山を越え海を越え、わざわざ京都に運んで来てくれたものだ。また米屋という者があって、それらの米を引き取って精白し、頼みもしないのに、毎日用聞きに来てくれるし、電話でもかければ雨降りの日でも、すぐ配達してくれる。

このようにして、私はまた釣りもせずに魚を食い、乳もしぼらずにバターをなめ、食後には遠く南国より来た、熱帯の香り高き果実やコーヒーを味わうことさえできる。呉服屋も来る、洗濯屋※も来る。たとえ妻女に機織りや裁縫の心得がなくても、私は別に着る物に困りはしない。

今住んでいる家も、私は一度も頼んだことはないが、いつのまにか家主が建てておいてくれたものだ。もちろんその家も、わずかにひざを収めるに足るだけのものだが、それでも庭には多少の植木もあり、窓には戸締まりの用意までしてある。

考えてみると、私は私の一生を送るうちに、いや、今日の一日ひとひを暮らすについても、見も知らぬおおぜいの人々から、実に簡単ではないお世話をこうむっている。しかしこれは私ばかりではない。私よりももっと余計の金を持っている者は、広い世間に数限りなくあるが、それらの人々は一生のうち、他人のためには手足一本動かさなくても、天下の人々が、争って彼にさらに多くの親切を尽くしている。

そこで金のある人は考える。今の世の中ほど都合よくできているものはない。だれが命令するでもなく計画したのでもないのに、世界じゅうの人が一生懸命になって、他人のために働くという今日のしくみは、不思議なほどに巧妙をきわめたもので、とても人の知性では考えられないものだと。だからこそ、少しでも現代の経済組織を変更し改造しようとする者がいたら、彼らは合図もなしに、一斉に、かつ猛烈にこれを抑圧する。

しかし気の毒なのは金のない連中である。ことわざに、地獄の沙汰も金次第というように、金さえあれば、地獄行きの者も極楽に往生できる。金がなくては極楽行きも地獄に落ちなければならないのが、今の世の中だ。先ほども私は、世界中の人が集まって、私に親切にしてくれるとお話ししたが、しかしそれは私が、多少でも月給を貰って金を持っているからだ。

家賃がたまれば、ただ今の親切な家主も、おそらく遠からず私を追い出すだろう。一文もなくなったら、私は妻子とともに、この広い世界に枕を置くべき所もないだろう。私の寝ているうちに、毎朝早くから一日も欠かさずに配達してくれた新聞屋も牛乳屋も、もし私が月末にその代金を払わなくなったら、とてもこれまでのように親切にしてくれないだろう。

実に金のある者にとっては、今の世の中ほど便利しごくの仕組みはないが、しかし金のない者にとっては、また今の世の中ほど、不便しごくの仕組みはないだろう。
(11月16日)

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訳注

※洗濯屋:原文「悉皆屋」(しっかいや)。

なお京都帝国大学教授だった河上先生の給料がいくらだったかは、正確には知りがたい。この記事の10年前、1907年のデータで、旧制大学・高校・専門学校(いずれも今の大学)教授の年収は、1,500円とのデータがある。例によって金価格で換算するが、1907年と1917年では、金価格にほとんど差が無いから、以前同様3,177倍してみると、476万5,500円となる。意外に、少ない。

ただ10年前の給料をそのまま当てはめるのは難があるし、当時の物価水準も考えなければならない。教授と言っても専門学校と大学では違いがあろうし、大学と帝国大学ではさらに違うだろう。確か国家官僚の中で最も格が高いのは、今でも東大と京大の総長だと読んだ記憶もある。

京都市内に庭付きの家を構え、御用聞きが毎日来るような生活だとするなら、むしろ1万倍、1,500万円当たりと想像するのが適当ではなかろうか。

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