現代語訳
「経済学は英国の学問で、英国は経済学の祖国であることは、誰も否定できない事実だ」(福田博士※1の言)。今その英国で育った経済学の、根底に横たわっている社会観を一言にまとめるなら、利己心を経済社会進歩の原動力と見なし、社会全体の幸福を最大にする最善策は、個々人の経済的利己心が、最も自由に活動することだ、と考えることにある。
考えてみれば、もともと人は誰に教わらなくても、自分の利益を追求する性能を持っている。つまりこの派の思想に従えば、自由放任は政治の最大秘訣になる。また好きなように、個人各自の利益を追求させておけば、これによって手もなく社会全体の福利を増進出来る。これが現代経済の仕組みの、最も良くできたところだというのだ。
だから現代の経済組織を喜んで受け入れ、その組織の下にある利己心のたくみな働きをほめたたえ、自由放任や個人主義を政治の原則とすることが、いわゆる英国正統学派の宗旨だ。だから現代経済の下で、多少でも国家の保護干渉を認め、利己心の自由な発動になんらかの制御を加えようとする国家主義、社会政策などは、正統学派より見れば、いずれも異端になる。
だから個人主義者は言う。「試しにヨーロッパの大都市に来てみるといい。そこには幾百万の人々が、毎朝種々雑多の欲望をもって目ざめる。その大部分の人々が、まだ深い眠りをむさぼっている時、早くも郊外からは、新鮮な野菜を載せた重い車を引いて、都市に入ってくる者がある。肥え牛を屠場に引き入れている者がある。
パン屋はかまどを真っ赤にして、忙しそうに立ち働いているし、牛乳屋は車を駆って一軒ごとに配達している。むこうには馬車屋が、見も知らない客を乗せて疾走しているかと見れば、ここには来るか来ないか確かでもないお客を当てにして、各種の商店が次第次第に店を開き始める。こうして市街はようやく眠りから覚め、その日の雑踏が始まる。
この驚くべきからくりで、幾百万の人々が、日々間違いなく、パンや肉や牛乳や野菜やビールやワインを受け取って、無事にその生活を維持できる。それがなぜだか考えてみるといい。つまるところ、全て利己心のたまものではないか。どんなに偉い経営者が出て、あらかじめ計画を立てても、数百万の人々の種々雑多の欲望を、このように規則正しく満たしていくのは、到底できないことだろう」(ランゲ氏『唯物主義史論』※2中の一節を借りる*)。
* Lange, Geschichte des Materialismus. Bd. II. S. 475.
個人主義者はこのように観察して、現代の経済組織をほめたたえるのだが、まことに今の世の中は、金持ちには重宝しごくの世の中である。
(11月15日)
訳注
※1)福田博士:ほぼ間違いなく、当時河上先生のライバルとして知られた福田徳三。
※2)『唯物主義史論』:現在では『唯物論史』ともいう。