『貧乏物語』七の四 私は前回…

現代語訳

私は前回、縁の遠い英国の靴製造業の話を持ち出して、しばらく問題を当面の日本から遠ざけておいたが、実は手近な所にも、同じように明瞭な実例が沢山ある。たとえば近ごろわが国に行なわれた、米価調節なるものがそれだ。米が沢山できるというのは実に喜ばしい事で、現にこのために全国各府県に農事試験場などを設けて、しきりにその生産増加を奨励している。

ところが、米が沢山できると値段が安くなる。しかも安くなっては農家のもうけが減るので、政府はいろいろ骨を折って、今度は米価をつり上げる工夫をしている。その一方には、日々の米代の支払いにも困っている者が沢山ある。腹一杯米の飯を食べられない者も大勢いる。それなのに政府は、米の値段を高くするために、委員会などを設け、天下の学者実業家を寄せ集めて、いろいろと骨を折らねばならないというのだから、実に矛盾した話だ。しかしこの一例でも、今日の経済組織の欠陥がどのあたりにあるかがよくわかる。

世間で社会問題を論じる者のほとんどは、目先ばかりに着眼して、貧乏根治の対策を、ひとえに貧民の所得を増やすことにあると考えている。しかしどんなに彼らの所得を増やしても、他方で富者の富がさらに一層の速度で増加する以上、貧富の格差はますますひどくなる。ひどくなるにつれて社会の生産力も、奢侈(しゃし)ぜいたく品の産出に吸収されてしまう。この弊害は、格差の力で規制もされず、その結果たとえ貧乏人の貨幣所得は少々増えても、生活必要品の価格はさらにそれ以上の速度で高くなり、このため彼らの生活は、かえって苦しくなるばかりだろう。

以上をまとめて言えば、生活必需品が今日、充分に生産されない理由は、社会の生産力が奢侈ぜいたく品を産出するために、奪い去られているからだ。多数貧民の需要に応じるための生活の必需品は、少し余分に造ると、すぐに相場が下がってもうけが減るから、事業家はわざとその生産力をおさえているのだ。それを踏まえて私に言わせれば、これが今日文明諸国で、多数の人々が貧乏に苦しんでいる、経済組織上の主要原因である。

さてこうして論じてみると、私の議論はいつのまにか循環したようだ。なぜかと言えば、私は最初、今日なぜ貧乏人が多いかといえばそれは生活必需品の生産額が足りないからだと言った。ではなぜ足りないかと尋ねられると、それは欲しいと思っている人は沢山あっても、その人たちが充分な資力をもっていないからだと答えた。ところが充分に資力をもっていない者はすなわち貧乏人だから、つまり私の説によると、生活必要品の生産額が不充分なのは社会に貧乏人が多いからだということになる。

すなわちなぜ貧乏人が多いかといえば生活必需品の生産が足りないのだと言い、なぜ生活必需品の生産が足りないかと言えば貧乏人が多いからだと言っているわけで、なんだか私は手品を使って、この最難関をごまかしながら抜け出たように見える。しかしこれは私の議論が循環しているのではなくて、実際の事実が循環しているのだ。

いずれその事はさらに詳論するつもりだが、ともかく以上述べた所によって考えると、貧乏問題は一見したところ、社会全体の富をどうやって分配するかという、分配論に限った問題のように見えて、実は、生産の問題と密接な関係があることを見て取れるだろう。私の見るところ、世間で社会問題を論じる者は、たいていは単純に富の分配の問題だと言い、問題が深く現在の生産組織と繋がっているのを見過ごす例が非常に多い。こういう分からず屋が多いから、私はわざと上のような循環論をくどくどと述べた上で、その解決に進もうとしているわけだ。
(10月20日)

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訳注

※米価調節:この事情について簡潔にまとめた文があるので参照されたい。
生涯学習情報提供システム、<えひめの記憶>

明治四四年から大正七年の米価を…みると、第一次世界大戦に入った大正三年に比べて、五年まではむしろ低落の傾向さえたどっているが、同六年六月以降は一升二〇銭代に達し、著しく高騰し始めた。
この原因は、国内では戦争による工業の発展と人口の都市集中で、米の消費量が急増したことと、農村内部の階級分化が促進され、大正初期まで伸長していた農業生産、特に米穀生産が停滞傾向を示すようになったことなどがあげられる。

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