現代語訳
以上はただ話をわかりやすく言っただけのもので、実際の社会はきわめて複雑だ。ただし要するに今日の経済組織の下では、物を造り出すことは、私人の金もうけ仕事に任せきりにしてしてあるから、そこで金を出す人さえあれば、どんな無用な、また有害な奢侈(しゃし)ぜいたく品でも、どしどし製造される。同時に、十分に金を出して買える人が沢山いない以上、国民の全体または大多数にとって、きわめて大切な品物でも、それが遺憾(いかん)なく生産されるというわけには決していかない。
たとえばこの事情を、英国での靴の製造業について見てみよう。無論立派な機械がだんだん発明されて来ているから、その生産力は非常に増えている。しかしそれなら靴の製造高は昔に比べて非常に増加したかというと、決してそうではない。これはなぜかといえば、いくら金持ちだからといって、靴のごときものをそう沢山買い込むものではないからだ。
もっともそのほかにたくさん貧乏人がいて、これらの貧乏人は皆、靴が欲しい欲しいと言っているけれど、欲しいと言うばかりで、ろくに金を出す力がない。もし靴の値段をうんと下げたなら、これらの貧乏人もみんな買うだろうが、しかしそう値段を下げては割りに合わないから、製造業者は最初からたくさんの靴は造らないのだ。
こういうわけで、せっかく機械が発明されても、そう沢山機械が据え付けられるわけでもなく、また機械のため生産力そのものはにわかに増えているのに、生産高はその割合に増やさないから、そこで職工は次第に解雇されて、失業者の群れに入ることになる。こうしてせっかく発明された機械も充分に普及せず、立派な手を備えて働きたいと思っている者も口がなくて働けず、機械も人も共にその生産力をおさえられ、十二分の働きができないようにされているのだ。
このような議論を、かつてチオザ・マネー氏がデイリー・ニューズという新聞紙※1に掲げたところ、氏は読者の一人から次のような手紙をもらったことがあるという。(同氏著『富と貧』133ページ)
「あなたが月曜日と火曜日の紙上で靴についてお書きになったことは、私は全く本当だと思います。それについては私自身の経験があります。私は鉄道の一従業員で、引き続き奉職していて、ただ今は週に30シリングずつ貰っています。……しかし1903年には私の労賃は25シリング6ペンスでした。そうしてその時から私は6人の子供を持っていますが、ちょうどその折の事です、私の家の隣に靴の製造と修繕を業としている者がいましたが、その人はそのころ業を失って、すでに数ケ月も遊んでいたのです。そのころ私の子供の靴は、例のとおり修繕に出さねばならなくなっていましたが、金がないので出せません。それでしかたなしに自分でへたな細工をしていますと、ある日のことです、ちょうど私は壁のこちら側で靴の修繕をやっていると、業を失った隣の人は壁の向こう側にいて、私がやむを得ずさせられている仕事を、自分にやらせてくれればよいのにという顔つきをしていました。私がその時の事情を考えた時に、私の心の中を通ったいろいろの感情は、私がいまだに忘られないところです。それゆえあなたの製靴業に関する議論を読むと、すぐにまた当時の事を思い出して、ここにこの手紙をあなたにさしあげる次第です*……。」
*Chioza-Money, Rich and Poor, p. 133.
これは一人の職工の短い手紙ではあるけれど、これを読むと、私は大家(たいか)が書いた長編の社会劇を読んだ時と、同じ印象を得た気がするのだ。
今日ダイヤモンドの世界生産額のうち、95%は南アフリカのキンバーレーという所の鉱山から産出されている※2が、そこの鉱脈はすこぶる豊富で、掘り出せばまだいくらでも生産されるという。しかしそう沢山に売り出しては価格が下落して、かえって利潤の総額が減るから、そこの鉱山会社※3ではわざと、その産額を制限している。南アのダイヤモンド生産は一会社が独占していて、その生産制限が特に目立って行なわれているため、今日では世界周知の事実となっている。
もしもわれわれが、一段高い所に立って世界を見回したなら、これと同じような生産制限は、世界経済界の至る所に、各種の事業を通じて、あまねく行なわれていることを見て取るのは難しくない。これが、有力な機械が発明された今日でも、貧乏に苦しむ者がなお、世界のどこにでもいる理由である。
(10月19日)
訳注
※1)デイリー・ニューズ:原文「デーリー・ニュース」。1912年に他紙と合併し、その後廃刊され、現存しない。
※2)ダイヤモンドの世界生産額:wikiによると、2004年現在はロシアが首位で22.8%、以下ボツワナ(19.9%)、コンゴ民主共和国(18%)、オーストラリア(13.2%)、南アフリカ共和国(9.3%)、カナダ(8.1%)の順。以上、上位6ケ国だけで、世界シェアの90%を占める。
※3)そこの鉱山会社:言うまでもなく、デビアス社のこと。