現代語訳
さて以上述べたところは、児童の発育の上に、貧乏が及ぼす弊害のごく一部にすぎない。しかも、貧乏が人の肉体と精神に大きな害を及ぼすのは、何も小学児童に限られているわけではない。それゆえ、同じ英国についても貧乏を退治するため、前述の食事公給条例のような事が、近ごろは各種の方面で盛んに実行され始めている。
私はこれを名づけて、貧乏神退治の大戦争という。そしてこの戦争は、今度の世界戦争〔第一次大戦〕以上の大戦争で、たとえ今日の世界戦争は近く終わるにしても、それに引き続き諸国で、盛んに行なわれるべき大戦争だと信じている。
では小学児童への給食のほかに、同じ英国でどんな政策が実行されているかといえば、それは実に多方面にわたるから、到底ここで列挙するわけにはいかない(くわしくは大正6年1月発行『国家学会雑誌』第三十一巻第一号に掲載されている、小野塚博士※1の「現代英国の社会政策的傾向」を参照)。だからただ1例だけ示せば、今度は老人について書いておこう。
貧乏な老人の保護のために、今日の英国には養老年金条例がある。これは1908年5月28日に下院に提出され、賛成大多数で通過し、上院では種々の議論があったけれども、ついに同年7月30日に無事通過し、かくして同年10月1日、法律として発布されたものである。
私は今くわしく、この法律の規定を述べる余裕をもたないが、またその必要もない。一言にして言えば、70歳以上の老人は、国家に一定の年金を請求する権利があると認めたこと、これがこの法律の要領である。原案には65歳とあったが、経費の都合でしばらくは70歳と修正された。
今この法律について、我々が特に注意すべき点は、年金を受けることを権利として認めたことである。人は一定の年齢に達するまで、社会のために働いたなら、年を取って働けなくなった後は、社会から養ってもらう権利があるという思想、この思想をこの法律は是認したものなのだ。
もちろん、農夫が穀物を育てたのは自分の生活のためだが、しかしそのおかげで一般消費者は、日々の糧(かて)に不自由を感じないでいられる。鉱夫が石炭を採掘するのも同じだが、やはりそのおかげで我々は、機械を動かし汽車を走らせなどができる、この意味で、夏は流を汗し冬は手をあかぎれさせて、苦しい労働に耐える多数の貧乏人は、皆、社会のために働いている、と言っていい。
それゆえ、たとえ年金をもらうにしても、法律はその者を卑しい奴だとはしない。またなんらの公権を奪うこともない。これは従来の貧民救済と、全くその精神を異にするところだ。このような思想が法律の是認を得るに至ったのは、思えば近代における権利思想の、一大転換期とするべきだろう。
年金を受ける資格がある者は、年収31ポンド10シリング(約315円※2)に達しない者で、もらえる年金額は、収入の多少によって差があるが、年収21ポンド(約210円)に満たない者は、すべて週に5シリング(1ケ月10円あまり)の年金を受ける。これがこの法律の規定の大要である。
(10月2日)
訳注
※1)小野塚博士:小野塚喜平次。当時東京帝国大学法学部教授。のち、東京帝大総長。吉野作造の師で、日露戦争強硬派の七博士の一人。詳細はwikiを参照。
※2)315円:前回同様、金価格を参考に3,177倍してみる。
年収315円→100万755円
年収210円→66万7,170円
月に10円→3万1,770円
月に3万円でどうにかせい、というのはやや厳しい気がするが、やはり桁外れの換算ではないように思える。
なお日本の年金制度は、江戸期の社倉・義倉や七分積金などを除外すれば、1875年(明治8年)の軍人恩給に始まるという(wiki)。一般労働者については、まず船員が1939年(昭和14年)、ついでそれが全労働者に拡大されたのは戦時中の1942年(昭和17年)だった。ただしこの拡大で払い込まれた掛け金は、そのまま戦費に流用されたらしいから、拡大について、河上先生が言う「従来の救済とその精神を異にする」とは言い難い。
詳細はwikiを参照されたい。