『貧乏物語』四の二 私は最近の英国…

現代語訳

私は最近の英国における社会政策の一端を示すため、先に小学児童に対する食事公給条例について述べ、今また養老年金条例のことを述べおえた。私はこれ以上、類似の政策を列記することを控えるが、言うまでもなくこの種の制度には、いずれも少くない経費を必要とした。

現に養老年金を例にとれば、1907年の統計によると、当時70歳以上の老人は、全国で125万4千人。もしこれら全てに週5シリングずつを支払うなら、その経費の総額は、実に年1億6,300余万円の巨額※1に達する。これこそが、英国財政が最近になって、急に膨脹せざるを得なくなったゆえんで、現に1908年度の予算編成では、主として海軍拡張及び養老年金法実施のため、約1億5,000万円の歳入が不足するに至った。

そこで時の財務大臣ロイド・ジョージは、やむを得ず一大増税計画を起こし、土地増価税、所得税、自動車税、煙草税等の新設または増税を企てた。ただその課税は、当然ながら金持ちに重いから、予算案は議会の内外で、騒然たる議論を巻き起こし、ついにはローズベリー卿が、「宗教も、財産権も、また家族的生活も――万事がすべておしまいだ*」と絶叫するに至った。
* It is the end of all things–religion, property, and family life.

ロイド・ジョージ

ロイド・ジョージ(原文に無し。クリエイティブ・コモンズ)

ロイド・ジョージ氏が、かの有名な歴史的大演説を試みたのは、実にその時である。4時間半にわたる長い長い演説を、まさに終わろうとする時、彼が最後に吐いた結語は、これまで私が述べてきた様々な事情を知った上で読むなら、多少なりとも、演説の雰囲気を生き生きと感じ取ることができるだろう。

またロイド・ジョージ氏のように、今何をなすべきかを知る英傑が、どのように貧乏を見ていたか、それを知るのにもぴったりだと思う。数ヶ月前、氏が軍需大臣から陸軍大臣に転任した際、私はすでに、この新聞紙上でこの演説を引用したが、本紙の編集者び読者諸君には、重ねてここ訳載する許しを、私に与えてほしいと懇望する。その演説の締めくくりは次の通り。

「さて私は、諸君が私に非常な特典を与えられ、辛抱して私の言うところに耳を傾けられたことを感謝する。実は私の仕事は非常に困難な仕事であった。それはどの大臣に振り当てられたにしても、実に不愉快な仕事であった。

しかしその中に、1つだけ無上の満足を感じることがある。それはこれらの新たな課税は、何のために設けられたかを考えてみるとわかる。

そもそも、新たに徴収されるこの金は、まず第1に、誰もわが国の海岸を侵さない保証のために費やされるものだ。同時に、これらの金はまた、この国内における不当な困窮を、ただ救済するだけでなく、さらにこれを予防するために徴収されるものだ。

わが国を守るため必要な用意を、すべて怠りなくしておくことは、無論、大切なことだ。しかし、わが国を一層よい国にして、すべての人に対して、またすべての人によって、守る価値のある国にすることは、確かに同じように緊要なことでもある。

これを踏まえれば、このたびの費用は、これら2つのために使うのだ。2つのためだからこそ、このたびの政府の計画は是認された。

何人かの人は、私を非難して、平和の時代にこんな重税を要求した財務大臣は、かつてその例が無いと言う。
しかし諸君*、これは一つの戦争予算である。貧乏を許さない、そのための戦いを起こす資金を調達するための予算である。

我々が生きているうちに、社会が一大進歩を遂げる。そして貧乏と不幸、及び必ずこれに伴って起きる人間の堕落が、かつて森に棲んでいた狼のように、全くこの国の人民から追い去られてしまう。そんな喜ばしい時がやってくる、私はそう望んだり信じたりせずにおこうとしても、できるものではないのだ。」
* ここで全院委員長エモット氏の名を呼んだのだが、訳して諸君としておく※2

よく聞け、わが国の政治家。欧州の天地から、まさに今知らせが来ている戦争※3以外に、このような大戦争があるのを見過ごさないなら、国家百年の計を固めるのはあなた方の仕事である。この物語の著者ごときは、さっさと筆と硯を焼き、引きこもって、のうのうと本の虫になってしまえるだろう※4
(10月3日)

スポンサーリンク

訳注

※1)巨額:もはやくだくだしいので、3,177倍して換算されたい。

※2)原文ではアスタリスクの位置に、カッコ内で挿入されているが、演説文を損なわないため訳者が移した。

※3)まさに今知らせが来ている戦争:無論、第一次世界大戦のこと。

※4)この一文、痛みなしに訳者は読めない。河上先生はこののちも、ロイド・ジョージ礼賛の文を述べることになるが、10年あまりのち本格的なコミュニストとなってからは、次のような事を書くに至る。

滑稽なのは…1917年1月に、私がロイド・ジョージ礼讃の一文を草していることである。それは最初の『貧乏物語』の附録にしてあるが、今あけて見ると、そこには『古人も至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなりと言っているが、げに至誠の力ほど恐ろしきものは世にあらじ。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久彊りなし。見よ、貧しき靴屋の主人[ロイド・ジョージの叔父を指す]の至誠は凝って大英国の大宰相を造り出し、しかしてこの大宰相の大精神はやがて四海万国を支配せんとすることを』などという文句がある。『場合によっては革命的な演説をすらやってのけることを心得ていた』ところの、最も優れたブルジョアジーの番頭は、それが最も優れたものであったがゆえに、当時の私の眼には、理想的な政治家であるかの如く映じたのである。似て非なるものの恐るべきは、総じて此の如くである。プロレタリアートのための最も有力なる味方であるかの如く見ゆるブルジョアジーの代理人は、–その人自身は主観的に如何に善き意図をもっていようとも、客観的には–プロレタリアートのための最悪の敵である。
『第二貧乏物語』

一人の人間として河上先生ほど誠実な人は希有だが、それゆえの過激化と訳者は見る。痛々しいことだ。

なおこの四の二をもって、『貧乏物語』上編は終わる。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)