現代語訳
今日の英国に、いかに多くの貧乏人がいるかという事は、私がすでに前回に述べたとおりだ。今このような多数の貧乏人が生じる根本原因はしばらくおき、かりにその表面の直接原因を調べてみると、たとえば先に述べたヨーク市の研究によれば、第1級の貧乏人の原因は次のとおりである。(ローンツリー『貧乏』縮刷版、154ページ*)
主たるかせぎ人は毎日規則正しく働いていながら
ただその賃金が少ないため……………………………………51.96%
家族数が多いため(4人以上の子供がいる者)………………22.16%
主たるかせぎ人の死亡のため…………………………………15.63%
主たるかせぎ人の疾病又は老衰のため………………………5.11%
主たるかせぎ人の就業の不規則のため………………………2.83%
主たるかせぎ人が無職のため…………………………………2.31%
* Rowntree, Poverty (Cheap edition), p. 154.
ことわざに、「かせぐに追い付く貧乏なし」というが、この表によって見れば、毎日規則正しく働いていながら、ただ賃金が少ないために貧乏線以下に落ちている者が、全体の半ば以上、すなわち約52%に達している。
なお4人以上の子供がある者は、家族数の多いため、という原因の方に入っているのだが、もしそれを合計するなら、第1級の貧乏人のうち約74%は、毎日規則正しくかせいでいながら、ただ賃金が少ないか、または家族数が多いために、貧乏線より上に浮かび得ていない。
そうして主たるかせぎ人の疾病または老衰のために、あるいはその無職のために、あるいは就業が不規則であるために貧乏している者は、すべてそれらを合計しても、全体の12%余りに過ぎない。
さらにレディング、ウェリントン、ノーザンプトンの3都市について、第1級の貧乏人の原因別パーセンテージを見ると次の通りである。ただしスタンレー市は鉱業地だから事情が違うだけでなく、調査材料が少ないので除外する(ボウレイ『生計と貧乏』400ページ*)。
貧乏人の原因別パーセンテージ
* Bowley, Livelihood and Poverty, p. 400.
前に引用した『生財弁』という書をひもとけば、「世間を見ると、貧乏も富貴もその多くは、自分で求めてそうなっている。貧乏が好きか富貴が好きかといえば、だれ一人、貧乏が好きだと言って出てくるものはあるまい。けれど、かせぐ事を嫌い、ただ銭を使いたいというなら、それは好きこのんで貧乏しているのだ」などと説いてある。しかし著者がもし今日に生きていて、ローンツリー氏やボウレイ氏の著作を見たら、ためらわずに自分の意見を改める、と思う。
私は以前、近県のある小学校※1に行った時、学校から児童に渡された「一日一善」と題する日記帳をもらった。帰ってからそれを調べてみると、その日記帳の日々の余白へ、格言みたいなのが印刷してある。その1つに
身のほどをしりからげしてかせぎなば
貧乏神のつくひまもなし
(身の程をわきまえて、尻をからげて田仕事に精を出せば、貧乏神は取りつかないものだ)
という歌があった。また近ごろ『町人身体柱立』(今より約150年前、明和7年の開版。『通俗経済文庫』第一巻に所収)という本を見ると、その中にも同じような意味の歌がある。すなわち
身をつとめ精出す人は福の神
いのらずとても守りたまわん
(辛抱して努力する人には、福の神が祈らなくても助けてくれるぞ)
というのだ。しかしこれらの教訓歌は昔の自足経済時代ならばともかく、少なくとも今日の西洋には通用しない。世間にはいまだに一種の誤解があって、「働かないと貧乏するぞという制度にしておかないと、人間はなまけてしかたがない。だから貧乏は、人間を働かせるために必要だ」というような議論がある。しかし少なくとも、今日の西洋での貧乏は、決してそういう性質のものではなく、いくら働いても貧乏は免れないという、「絶望的の貧乏」なのである。
尋常小学読本を見ると、巻の八の「働くことは人の本分」というところに、「働かなければ食物も買えないし、着物も作れない。人の幸福は、皆自分の働きで産み出すほかはない。何もしないで遊んでいるのは楽のように見えるが、かえって苦しいものである」とある。
日本の事情は、よるべき正確な調査がない※2からしばらくおくが、少なくとも今日の英国などでは、これは誤解または虚偽である。今日の英国では、前述の通り、毎日規則正しく働いていながら、わずかに肉体の健康を維持するだけの衣食さえ、得られない者がすこぶる多い。それと同時に、他方には全く遊んでいながら、驚くべきぜいたくをしている者も決して少なくはない。
何もしないでブラブラするのは苦しいだろうが、いろいろな事をして遊んでいるのは、飢えながら毎日働いているよりも、はるかに楽であろう。欧米の社会に不平の絶えないのも不思議ではない。
(9月17日)
訳注
※1)小学校:当時の小学校は、義務教育として修業年限6年の尋常小学校と、非義務教育として2年の高等小学校に分かれていた。1907年(明治40年)までは、尋常小学校4年、高等小学校2年または4年だった。
※2)日本の事情は…調査がない:たとえば失業率の調査さえなかったことが、関東大震災直後の、福田徳三の調査でわかる。