現代語訳
私のいう貧乏人の意味は、前数回ですでに説明した。ではその基準にもとづき、今日の文明諸国で、このような貧乏人が、はたしてどれだけいるかといえば、それは実に、驚くべき多数に上っている。
生活必需品にも事欠く人々(第1級)+ぎりぎり生活必需品をまかなえる人々(第2級)
試みに世界最富国の1つである英国の状態について、その一部を述べてみる。1899年のことだが、富裕な商人の篤志家、ローンツリー氏が、ヨーク市(当時人口75,812人)で綿密な調査をした結果によれば、当時第1級の貧乏人の総数は7,230人、いずれも皆、労働者階級の人々だった。
この数を労働者総数と比較すると、その14.46%に当たり、人口総数に比較すると、9.91%を占める。また第1級・2級の貧乏人を合計すると、その総数20,302人、これまたいずれも労働者階級で、その割合は実に労働者総数の43.4%、人口総数の27.84%だったという。
これは、特に好景気だった1899年※の調査だが、その結果は実にこれほどまでだった。すなわち貧乏線より上に抜け出ることができず、肉体の健康を維持するだけの所得さえ十二分に得られない者が、全市人口のほとんど3割に近づいていることがわかったのだ*。
* B. Seebohm Rowntree, Poverty : A Study of Town Life.
なおこれより先、リバプールの商人で船主の、チャーレス・ブース氏(氏は近ごろ永眠した)は、少くない年月と私財の大半とをさいて、ロンドン全市にわたる大規模な貧民調査をしたことがある。そうしてその結果は、『ロンドンにおける人々の生活及び労働』という大冊十巻の著書となって公にされ、その第1編は「貧乏」と題してあって、これは2巻から成り立ち、初めて1891年に出版されたものだ。それで見ると、ロンドンでの貧乏人の割合は総体の人口の内で
最下層民 (The lowest class):0.9%
細民 (The very poor):7.5%
貧民 (The poor):22.3%
となっている。
すなわちこれを合計すると、全体の人口のうち30.7%は貧乏人だということになる*。もっともこのブース氏の調査は、先に私が貧乏線とは何かで説明したほどには、正確な基準によったものではないが、ともかくこの調査が発表された時には、それはロンドン市だけのことで、他の都会になるとよほど事情が違うだろう、という説が、もっぱら行なわれていた。
* Charles Booth, Life and Labour of the People in London. First series : Poverty. 1902 (1st ed. 1891) vol. 2, pp. 20, 21.
ところがローンツリー氏が、さらに物静かないなか町のヨークで調査してみたところ、前に述べたように、ロンドンとほとんど同じ事実が出て来た。
同じような事が続くのでおもしろくないが、話を正確にするために、今一つ最近に行なわれた調査のことを簡単に述べておく。これは1912年の秋から翌1913年の秋にかけて行なわれた調査で、その結果は統計学者のボウレイという人と、バーネット・ハーストという人との共著になって、昨1915年に公にされたものである。
これは先に述べたローンツリー氏のように、調査の範囲を一都市に限らないで、なるべく事情の異なる都市を4個所だけ選び、それについて調査を行なった。すると場所によると、ローンツリー氏の調査の結果よりも、いっそうひどい成績が出た所もある。
すなわちローンツリー氏の調査の時は、第1級の貧乏人は全市人口の1割弱だったのが、今度の調査によると、レディング(スコットランドの中央東部に位する人口約87,000の都市)では、全市人口の5分の1(すなわち2割)、ウェリントン(イングランドの北西で、ウェールズに近い所の海岸に位置する人口約72,000の都市)では、全市人口の8分の1が第1級の貧乏人で、これらはいずれもヨーク市よりひどい。
しかしノ-ザンプトン(イングランドの中部で、ロンドンの北西に位する人口約90,000の都市)では、その割合12分の1、スタンレー(ロンドンの西に位置する人口約23,000の小都市)では、17分の1に過ぎなかったので、これらはヨーク市よりも良好の状態にあるわけだ*。
* Bowley and Burnett-Hurst, Livelihood and Poverty, 1915. pp. 34–38.
都市名 | 第1級の貧乏人 |
ヨーク | 約10% |
レディング | 約20% |
ウェリントン | 約12.5% |
ノ-ザンプトン | 約8.3% |
スタンレー | 約5.9% |
このように都市の経済事情いかんによって、その割合は必ずしも一様でないけれども、ともかく以上述べた2、3の例によって見れば、世界最富国の一つである大英帝国にも、肉体の健康を維持するだけの所得さえない貧乏人が、実に少なからずいることがわかる。
なお以上述べたのは、ブース氏の調査を始めとし、すべて2つめの貧乏人(すなわち慈善工場その他救貧制度の恩恵の下で生活している受給者)は全て除外してあって、それは少しも計算に入れていない。そうしてみると、いかに貧乏人が英国にたくさんいるかということが、ますますよくわかる。実に英国は世界一の富国というけれども、その英国には、貧乏人がこれほどまで大勢いるわけだ。
(9月16日)
訳注
※1899年:この年が特に好景気だった、という論拠は訳者には未だ不明だが、この年前後が、英国の最盛期だったことは頷ける。ヨーロッパの覇権と、世界の植民地を争った英仏間の対立が、ナポレオン敗戦後のウイーン会議(1814年)で、ひとまずイギリスの勝ちで終わったからだ。もっとも、植民地を巡っては抗争が続くが、いずれもイギリス優位は崩れない、いわゆる大英帝国の時代だった。
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