『貧乏物語』一の四 私はすでに…

現代語訳

私はすでに、貧乏線を説明し、3つめの貧乏人についても一応は説明した。しかし、まだその話を続けなければならない。というのは、貧乏線より上にある者とそれ未満にある者※1のほかに、まさにその線の真上に乗っている者があるからだ。

それは、その収入がまさに前回で述べた、生活必要費の最下限である者を指す。従って全収入を肉体の健康維持だけに使うなら、かろうじて栄養不足にならない。けれども、もし少しでもその収入を健康維持以外に使えば、それだけ食費その他の必要費が不足し、健康を損なうことになる。

言うまでもなく、肉体の健康を維持する費用だけが、われわれの生活に必要な費用の全部ではない。たとえば衣服にしても、職業の種類によっては、単に寒暑を防ぎ健康に害がないだけで満足するわけにはいかない。また子供がいれば学校にも出さなければならない。親の情として、ただ子供の肉体を丈夫に育てるだけでなく、その精神霊魂をも、健全に育てる苦心をしなければならない。

しかしまさに貧乏線上にある人々は、すべてこのような用途にあてる余裕をもたないから、たとえいかに有益または必要な事がらでも、それに何らかの支出をすれば、それだけ肉体の健康を犠牲にしなければならない。煙草をのみ酒を飲みなどすれば無論のこと、新聞を購読しても、郵便一つ出しても、そのたびに健康を犠牲にしなければならないわけだ。

それゆえわれわれは、ただ貧乏線未満にいる人々だけを、貧乏人に入れるだけでなく、その線の真上に乗っている人々も、やはり貧乏人としなくてはならない。こうしてみると、いうところの貧乏人は自動的に2つに分かれる。つまり第1級の貧乏人は、貧乏線未満の人々、第2級の貧乏人は、貧乏線の真上に乗っている人々である。要するにこれら第1級・2級の貧乏人こそ、以下この物語の主題となる貧乏人だ。

この物語で主題となる貧乏人=
第1級の貧乏人:生活必需品にも事欠く人々

第2級の貧乏人:ぎりぎり生活必需品をまかなえる人々

こうして見ると、私がこの物語でいう貧乏人の標準は、その程度が実にはなはだ低い。私は次回から、西洋で貧乏人がきわめて多数に上っている事を述べようと思うが、私はあらかじめ読者に向かって、その時私の列挙する数字は、いずれもほぼ以上の基準によるものであることを、お忘れのないようお願いしたい。

ことわざに、すべて物事を力強く他人の頭に打ち込むためには、誇張するよりもむしろ控えめに言えといわれるが、私は何もそんな意味の政略から、わざと話を控えめにするのではない。ただ叙述を正確にするために、従来人々の採用した基準を、ただそのまま襲踏しようとするに過ぎない。

さて私は以上で、貧乏という言葉に様々な意味があることを明らかにし、ようやくこの物語の序言を終えることができた。今振り返って要約するなら、貧乏という言葉には、だいたい3種の意味がある。

すなわち1つめの貧乏は、ただ金持ちに対していう貧乏であって、その要素は「経済上の不平等※2」である。2つめの貧乏は、保護を受けているという意味の貧乏で、その要素は「経済上の依頼※2」にある。そして最後に述べた3つめの貧乏は、生活の必要物を得ていないという意味の貧乏で、その要素は「経済上の不足※2」にある。

すでに述べたように、この物語の主題は、もっぱら3つめの貧乏だけれども、時には、1つめ・2つめの貧乏に言及することもありうる。しかしその時には必ず混雑を避けるために、私は常に相当の注意を書き記すようにするつもりだ。
(9月15日)

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訳注

※1) 貧乏線より上にある者とそれ未満にある者:原文「貧乏線以上にある者とそれ以下にある者」。「以上・以下・未満」は、不等号で言う、左辺に対して「≦・≧・>」にあたるが、河上先生はその意味では使っていないと読み取れる。今は数学的な定義に従って、言葉を改める。
この定義を、先生ほどの方がご存じでないはずがないが、3つの語義が定まったのは、ずいぶんと時代が下ってからだ、とどこかで読んだ記憶がある。今はそれを思い出せない。

併せてwikiのページも参照されたい。

※2) 経済上の不平等:原文「エコノミック・インイクオリテー」とルビがあるのを略した。訳者にとっては理解の助けになるより、わずらわしいと判断したから。
同じく、経済上の依頼:「エコノミック・デペンデンス」、経済上の不足:「エコノミック・インサフィセンシイ」。

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