現代語訳
さて私がここでマルクスを持ち出したのは、彼が唯物史観または経済的社会観という、有名な一学説の提唱者だからだ。彼が1859年に公刊した『経済学批判*』の巻頭には、同年2月の日付が付いた彼の序文があるが、その一節には次のように述べてある。
* Karl Marx, Zur Kritik der politischen Oekonomie.
「〔あー、オホン。※1余はマルクスである。〕余はギゾー※2めのしわざで、フランスから追われた。いたしかたなくパリで始めた経済の研究は、ブリュッセルで続けたのである。その結果余が到達した結論を簡単に言えばだな、次の通りである。〔よくよく聞くように。あ-、〕なおこの結論を得てからはだな、それがいつも余の研究の導きとなっておる。〔うむっ。〕」
「〔そもそもだな、〕人が生きるには、モノが要るであろう。それを作ったり手に入れるためには、どうしても一定の関わりを、ほかの人々と持たなければならんというものである。〔あーそれはだな、〕好き嫌いを言えない話というものである。その関係は、その時代ごとの〔技術力、〕生産力に応じた形をしておる。
〔それでだ、〕あちこちにあるそういった関わりを足し合わせて、社会の経済的な構造が出来ておる。これがその社会の、本当の基礎というものである。〔ここが肝心なのである、諸君。所詮人は生き物であるからにはだな、カネと異性でしかない。ここがわからんとだな、余の見いだした真理はわからぬのである。〕
その基礎の上にだな、法律とか政治とかいった〔偉そうな〕建物が出来ておる。社会全体が何を思うかも、こうした基礎と、その上の建物にふさわしいものになるんであるんである。だからモノを作るやりかたがだな、人が社会的、政治的、精神的にどう生きていくか、それを全て決めている、そう言っていいのである。〔んんっ〕」
これはマルクスの大変に難しい文章※3の、ごく一節を直訳しただけだから、これを読んだだけでは、彼の意見の全てはわからない。しかしそれを詳しく解説する余裕はない。だからしばらくマルクスの原文を離れて、簡単に彼の意見の要領だけを述べよう。
生産力が増大すると、モノを作って売り買いする仕組み〔や、働き方〕が変わる。〔この仕組みとは〕つまり経済だ。それが社会の土台だから、土台が変わればその上に乗っかったものはみな変わる。つまり法律も政治も宗教も哲学も芸術も道徳もみな形が変わる。
もっと簡単に言えば、経済がまず変わって、その後で人の思想や精神が変わる定めで、その逆ではない。これがマルクスの意見のだいたいだ。
ここで私は、マルクスの議論を一々批評するのがめんどうくさい。しかし彼に似た思想は、昔から東洋にもある。すでにわれわれが聞いたことのある古人のことばを借りれば、幸いにも私はそれで、一通り自分の話を進めていける。
そのことばは、論語にある孔子のことばだ。〔弟子の〕子貢が政治の要点を聞いた時、孔子はこう言っておられる。
「民に腹一杯食わせなさい。警察と軍隊を整えなさい。そうすれば民に信頼されるよ。〈食を足し、兵を足さば、民之を信ず〉※5」(顔淵第十二)
わが国の熊沢蕃山※6は、この言葉に講釈を付けてこう書いた。
「食べ物が足りなくなれば、役人はそれを独り占めするし、民は泥棒かせぎをするしかない。訴訟は増えるし、牢屋は一杯になるし、権力者金持ちはどこまでも偉そうにして、一般人貧乏人はおべっか使いばかり、もううんざりな世の中になる。
泥棒してもそれは彼の罪じゃない。これを罰するのは、たとえば雪の中で庭を払ってエサを撒いて、集まった鳥に網を投げるようなものだ。……これが内乱の始まりだ。戦争などしなくても、国はずたずたになる。軍隊や警察など整えているひまはない。民に信頼されるなんてもってのほかだ。※7」(集義和書、巻十三、義論八)
こうした文章は幕府時代にはすでにあった。それを読むとわれわれは、幕府時代に現代のロイド・ジョージそっくりの話が、もうあったとわかる。
ついでに孟子もこうおっしゃった。
「殿様、財産が無くても立派な言動行動は出来るって言うんですか? とんでもない。もともと立派な人間だから、立派にふるまえるだけですよ。無知蒙昧な連中は、カネがなければめちゃくちゃなふるまいをします。食えないんだったら、やらない悪事なんて無い、それが民ってものですよ。そこでお前は悪い奴だとしょっ引いて、首を斬るなり牢屋にブチ込むなりする。これって人間を、網で獲ってるようなものですよ。
まともな殿様って言うのはそんなもんじゃありません。ほどほどの財産が、民の手に入るようにするんですよ。親孝行が出来るように、家族を食わせられるようにするんですよ。豊作の年にはのんびり暮らせるように、凶作でも死にはしないように。その上で良いことをするように仕向けるのが、まともな殿様ですよ。そうやって初めて、民が言うことを聞くってもんです。
ところで殿様、あなたは今何やってるんですか。親は養えない、家族も養えない、豊作でも税をしぼられる、凶作になったら死んじまう。これじゃ民は、飢えたくない死にたくないの一心で、いくらお説教しようが無駄ってもんです。※8」(梁恵王章句上)
「カネがなければめちゃくちゃなふるまいをする」と書いてあるのは、言い換えると経済を改善しなければ、道徳は進まないということだ。これがマルクスの言う、経済的社会観を用いた社会観察の一つだ。
(12月10日)
訳注
※1)オホン:ここで訳者は言い訳、ではなく開き直りをしておく。訳者はものすごくまじめに、河上先生がなさったマルクスの直訳を現代語に意訳した。マルクスを面白がってはいるが、からかう意図はまるで無い。原文の意味を忠実に訳した。
その意味とは、あえて難解に書く事によって、書き手を権威づけようとするマルクスの意図を指す。原文の難解さを廃し、同時にマルクスの目立とう精神を含めながら、現代日本語で表現した。この訳者の現代語訳方針については、後日記す。
※2)ギゾー:フランス外相。1845年1月、プロイセン政府の圧力を受けて、マルクスら反プロイセン派の在仏外国知識人を追放処分とした。
※3)大変に難しい文章:原文「聱牙な文章」。ごうが、と読む。マルクスが書いた文は、「ナニナニするところのナニナニ」といった、大変にわかりにくい構造が入れ子になっている上、意味のはっきりしない修飾語をごちゃごちゃとくっつけるから、ますます何が何だかわからない。原文は次の通り。
余はギゾーのためフランスより追われたるにより、パリーにて始めたる経済上の研究はこれをブリュッセルにおいて継続した。しかして研究の結果、余の到達したる一般的結論にして、すでにこれを得たる後は、常に余が研究の指南車となりしところのものを簡単に言い表わさば次のごとくである。
人類はその生活資料の社会的生産のために、一定の、必然的の、彼らの意志より独立したる関係、すなわち彼らの物質的生産力の一定の発展の階段に適応するところの生産関係に入り込むものである。これら生産関係の総和は社会の経済的構造を成すものなるが、これすなわち社会の真実の基礎にして、その基礎の上に法律上及び政治上の上建築が建立され、また社会意識の形態もこれに適応するものである。すなわち物質的生活上の生産方法なるものは、社会的、政治的及び精神的の生活経過をばすべて決定するものである。
こういう書き方を、これこそドイツ語の特徴だと有り難がる向きもあるが、ドイツ語だろうと人間の言葉である以上、わかりやすく書く事は可能なはずだし、日本語ならばなおさらだ。
なおマルクスは大した学者だと訳者は思うが、研究論文だけでなく、話し言葉でも、こういうわけわからん言い方をしたがる。一例が『賃銀・価格および利潤』だ。これはのちに、一般向けアジビラとして公刊された。この時代の左派学者先生方については、一般大衆を煽るなら煽るで、他にやり方があるように訳者は思う。
※4)マルクスの肖像画:1917年3月の弘文堂版では、前回と今回の間に載せられている。ここへの画像配置は、青空文庫のデータ(底本:岩波文庫)に従った。また画像はwiki掲載のデータを用いて鮮明化した。
※5)後日注記。原文の読み下しは、「食を足し、兵を足し、民をして之を信ぜしむ」と使役の形になっている。しかし漢文の原文は「足食足兵民信之矣」となっており、使役に読むのは無理がある。ゆえに改めた。
ただしこの訳文は河上先生のお書きになった文を訳すわけで、先生がそう解釈なさったのならその通り訳すのがスジというものだ。だから今だに迷っている。
※6)熊沢蕃山:江戸前期の陽明学者。岡山の閑谷学校の開祖。陽明学は儒学の一派で、中国でも日本でも主流になり得なかったが、理屈は通るので過激な言動行動に走る人が多い。これには吉田松陰や西郷隆盛があてはまる。
儒学はおおざっぱに言って、1/3が「偉い人の言う通りにしろ」、1/3が「行儀良くしろ」という要素で出来ている(残り1/3は「民など弱い者をいじめるな」)。両者が日中朝鮮で権力に気に入られて、正統思想として取り入れられた。
カッコ内1/3を忘れてはいないか、というのが陽明学の思想だ。権力にとって痛いところを突くことになる。蕃山も幕府ににらまれ、死にそうな歳(69)になっているにもかかわらず、押し込められて4年後に死ぬというカラい目に遭っている。
※7)原文は次の通り。
食足らざるときは、士貪り民は盗す、争訟やまず、刑罰たえず、上奢り下諛て風俗いやし、盗をするも彼が罪にあらず、これを罰するは、たとえば雪中に庭をはらい、粟をまきて、あつまる鳥をあみするがごとし。……これ乱逆の端なり、戦陣をまたずして国やぶるべし。兵を足すにいとまあらず。いわんや信の道をや。
※8)原文は次の通り。
恒産なくして恒心あるは、惟士のみ能くするを為す。民の若きは則ち恒産なくんば因って恒心なし。苟も恒心なくんば、放辟邪侈、為さざるところなし。已に罪に陥るに及んで然る後従って之を刑す、これ民を罔する也。是の故に明君は民の産を制し、必ず仰いでは以て父母に事うまつるに足り、俯してはもって妻子を畜うに足り、楽歳には終身飽き、凶年には死亡を免れしめ、然る後駆て善に之かしむ。ゆえに民の之に従うや軽し。今や民の産を制して、仰いでは以て父母に事うまつるに足らず、俯しては以て妻子を畜うに足らず、楽歳には終身苦しみ、凶年には死亡を免れず、これ惟死を救うて贍らざらんを恐る。奚んぞ礼義を治むるに暇あらんや。