現代語訳
人と境遇との間には、因果の相互的関係がある。すなわち人は境遇を造り、境遇もまた人を造る。しかしどちらが元かと言えば、境遇は末で人が元だ。だから経済組織の改造は、社会問題の根本的な解決とは言えない。
しかし社会の制度組織が、個人の精神思想に及ぼす影響を、私は無視しない。むしろ私は人一倍、経済が人の心に及ぼす影響が甚大なことを認めている。その点では19世紀の最大思想家の1人、カール・マルクスの説に学んだところが少なくない。
ここでマルクスの伝記を詳しくお話する余裕もなければ、その必要も感じない。しかしいつ読んでも面白いのは、豪傑の伝記だ。だからマルクス伝のほんの一部を示すため、ここでマルクスの奥さん※1の手紙の一節をざっと紹介しよう。
「……赤ちゃんのために乳母を雇うのはもちろん無理ですから、わたしは胸や背中に絶えず恐ろしい痛みを感じるけれど、自分のお乳で子供を育てる決心をしました。ところが可哀想な小さな天使は、良くないお乳を飲み過ぎたので、生まれ落ちた日から病気にかかり、夜も昼も苦しんでいます。
赤ちゃんはこれまでただの一夜も、2、3時間以上眠ったことがありません。……そんなところへある日のこと、突然大家が来て……溜まった家賃5ポンド※2を請求しましたが、私どもにはもちろん払うお金はありません。
そうしたらすぐに2人の役人が入ってきて、わずかばかりの家財を、ベッドも、シャツも、着物もすべて差し押え、さらに赤ちゃんのゆりかごも、泣きながらそばに立っていた2人の娘のおもちゃも、すべて差し押えてしまいました。」
これはマルクスの奥さんが、1849年にある人に出した手紙の一節だ。奥さんは、マルクスの父の親友、ルードウィヒ・フォン・ウェストファーレン※3という人の娘だ。当時その人がプロイセンの官僚として、ザルツウェーデルからマルクスの郷里のトリエルに引っ越して来たのは、今からちょうど百年前の、1816年のことだ。
その時に連れていた2歳になる女の子は、後にマルクスの奥さんになった人で、つまりこの手紙の主だ。奥さんは子供の頃から美しく、富裕な名家で育ったため、名門の子弟から求婚された事も少なくなかったのだが、たまたまマルクスの切なる望みで、四歳年下のこの貧乏人の子にとついだ。
カール・マルクスは、恐るべき社会主義者として早くから自分の祖国を追い出された。またフランスからもベルギーからも追放されて、ついには英国の都ロンドンで客死した。世界の浪人で世界の学者と言うべき人だ。
奥さんはその夫に生涯を捧げ、つぶさに辛酸をなめ尽くしながら、終始善良な妻として、彼女の遠い祖先が眠る英国に流れ渡り、ついに自身もロンドンの客舎で病死した。引用した手紙もすなわち、このロンドン滞在中に書いたものだ。
(12月9日)
訳注
※1)急いで書いておく。奥さんの名前はJennyという。読み方はあとで書く。
※2)5ポンド:当時英ポンドの正貨として流通したのはソブリン金貨で、wikiによれば重量7.98805gで金純度91.67%とある。ざっと1ポンド=純金7.3gとすれば、2013年の金平均価格は4,453円だから、5ポンドは約162,500円になる。
なおこの間の事情については、wikiにこうある(一部略)。
マルクスはラッサールら友人からの資金援助で路銀を手に入れると、1849年8月27日に船に乗り、イギリスに入国した。
早速ロンドンで家具付きの立派な家を借りたが、家賃を払えるあてもなく、1850年4月に家は差し押さえられてしまった。
これによりマルクス一家は貧困外国人居住区だったソーホー・ディーン通りの二部屋を賃借りしての生活を余儀なくされた。
この貸間はゴミ屋敷と化し、マルクスは稼がず、奥さんの反対を無視して秘書を雇い、子供を3人死なせて葬式も出せず、という生活を送ったらしい。少なくとも、子供にとっては恐るべき父親と言うべきだろう。
まず次男が1歳で、5年後に長男が8歳で餓死、2年後には三女も死んだ。また愛人との間に産まれた息子を認知せず、息子はただの工場労働者になるしかなかった。
生涯働かず、まず奥さんの財産を食いつぶし、次には友人からタカって回った。多くの友人はあまりにしつこいせびりに遭って決別した。最後まで付き合ったエンゲルスの奥さんが亡くなった時、そんなことはいいからカネよこせ、と返信している。
※3)まず訳者には、ドイツ語の素養が一切無いことをおことわりする。その上で、今回は地名人名共に、原文通りとした。ドイツ語の音写はやっかいだからだ。
例えば活版印刷の発明者とされるグーテンベルグだが、グーテンベルクとも書かれるし、古い本だとグーテンベルヒと書いたのを読んだ記憶がある。文中のトリエルも、今はトリアーまたはトリーアと書く事が多いし、一般的なドイツ語の発音もそれに近いという。
さらにドイツ語には、標準的な発音がない、とも聞いたが、これ以上は無学ものの想像に過ぎなくなるからやめにする。
なお肝心な、マルクスの奥さんの名前だが、ドイツ語版のwikiにはJennyとある。日本語版wikiの通り、イェニーと読むのが一般的なのだろう。
さて、この回で「ここでマルクスの伝記を詳しくお話する…必要も感じな」かったことは、河上先生の千慮の一失と訳者は感じる。自分の妻子も愛せないような男が、広く社会を愛せるだろうか、と思うから。そのような者の説が、人々を幸せにするのだろうかと。
マルクス主義による犠牲者を、まずロシアに見る。
ロシア内戦:271万人
レーニンによるもの:少なくとも数十万人
スターリンによるもの:推計最大700万人
ホロドモール:400万~1450万人
同じく共産圏たる中国についてみる。
国共内戦:最大175万人
大躍進政策:数千万人
文化大革命:40万~1000万人
こういう数字は政治や統計的錯綜が絡んでやっかいだが、出来るだけ良心的にデータを集めてみた。またこういう数字は、人間の欲を離れたただの数字には、人類滅亡までならないだろう。だが内戦は相手のあることだから割り引くとしても、それ以外はマルクス主義ゆえと断じられても仕方がない。
これはYouTubeより引用した、中国で掲げられていたポスター。
「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想万歳」とあるが、左端のマルクスが生んだ右側3人は、世界史上空前で絶後であってほしい大量殺戮者には違いない。
また露中以外の共産圏での惨劇は、算定のしようもないし、カンボジアのようにそれで国民が滅亡しかかったこともある。平明に言って、マルクス主義によって流された血と涙は、笑顔や笑い声を遙かに上回ると言っていい。
後世に住まう訳者だから、こうした批評ができるのだが、河上先生が今一歩、マルクス個人の理解を深めていたら、どうなっていただろうか。