『貧乏物語』十の三 皆が一生懸命に…

現代語訳

皆が一生懸命になって、一国の生産力をできるだけ有効に活用しようとまじめに考えれば、従来の経済組織は、自然と改造されねばならない。大戦勃発後、八方に敵を受けたドイツが、開戦後まもなく率先して経済組織の大改造を企てたのも、とどのつまりはこのためだ。従来、多くの人々が机上の空論だと言い、単に思想家の頭に描いた夢想郷に過ぎないとしたものを、ドイツはたちまち実現したのだ。

思えば開戦当時は、半年もたたないうちに必ず経済破綻すると予期されたドイツが、今もなお容易に屈しないのは、主としてこの新組織の力による。真にわが国の前途を憂える者は、戦時下ドイツのこの経営について、大いに学ぶべきだ。その新組織をあるいは社会主義と呼び、あるいは国家主義と呼ぶのは、名前の問題に過ぎない。名の違いでその中身を怪しむのは、識者のすべき事ではないだろう。

もちろん現在のわが国では、貧富の格差は決して西洋諸国ほどひどくない。しかし私が言う貧乏線以下に落ちている人間は、現在でも決して少なくあるまい。その一方で何か事件のあるたび、巨万の富を積む者は、次第にその富を百倍・千倍にしつつある。病気は手の付けようが無くなってから手を付けろ、というならともかく、当然そうではない以上、われわれは事態がとんでもなくなる前の今、十二分に考えるべきだ。

もちろんわが国でも、郵便・電信・鉄道などはすでに国営事業で、塩・煙草・樟脳なども専売になっている。また水道・電力・電車などの事業が、地方公共団体の経営になっているのも少なくない。だからこの上さらに公営事業を拡張すれば、個人にとっては次第に金もうけの仕事が減る。それゆえ一部の実業家には、ずいぶん反対もあるだろう。しかしまじめに考えれば、一部の実業家を利するより、国民全体を富ませた方が得策だろう。

こうして私が論じても、まだ十分でないところがたくさんある。しかし私は今、この物語の終結を急ぐから、残念だが適切な順序を飛ばして、直ちに根本問題に入ろう。ここで根本問題というのは、いわゆる経済組織の改造は、それが貧乏退治策の根本中の根本になりえるか、という問題だ。しかし読者がこの問題を今、私に答えろと言うなら、即座にダメという。

なぜかといえば、少し事を根本的に考えればわかる。いくら組織や制度を変えればよくても、それだけの仕事ができる豪傑が出てこなければだめだからだ。ところが「無限の宇宙に人は無数にいるが、一体誰が男児と言えるか」で、天下の大事を担える豪傑は、そう簡単には出てこない。

もし幸いもそういう豪傑が出て来て、制度やしくみを変えようとしても、まず社会を組織する、一般の人々の思想、精神が変わって来なければ、簡単に変えられるものではない。特に今日のような、世論政治の時代ではなおさらだ。またたとえ時の勢いで変えてみても、その制度や仕組みを運用する人間、つまり国家社会を組織している個人が変わらない以上、根本的な改革はできるものではない。

これをたとえるなら、社会組織の善悪は、寿司の押し方に出来不出来があるようなものだ。押し方が足りなければ米粒はバラバラになって最初から寿司にならない。しかしあまり強く押し過ぎても、寿司は固まって餅になってしまう。しかしいくら上手な押し方をしても、材料がまずくてはうまい寿司はできない。

そこで押し方の工夫も無論重要だが、同時にその材料に注意して、米だの魚だの椎茸だの玉子焼きだの酢や砂糖など、それぞれ精選しなければならない。私はこの意味で、政治家の仕事よりも広義の教育家の仕事を、組織の改良よりも個人の改善を、事の本質上、より根本的だと考えている。
(12月5日)

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訳注

※寿司の押し方:河上先生は山口県の生まれで、1879年生まれと言うから、だいたい日清・日露の戦間期(1894-1904)に、東京で学生生活を送った。だからいわゆる、シャリにネタを乗せて握る江戸前寿司をご存じだったはずだが、「寿司」と言えばすぐに「押し寿司」を思い浮かべるのは京都人らしい。

江戸前寿司

江戸前寿司

京都府寿司生活衛生同業組合のHPによれば、京の寿司は鯖、ちらし、巻き、箱の順に紹介され、江戸前握りは新参の扱いになっている。鯖寿司については、「その昔、鮮魚の手に入りにくかった京都の人々にとって、日本海で取れた塩漬けの鯖は大変なご馳走でした。その鯖を酢で締め、すし飯と合わせたのが鯖寿司のはじまり」とあり、鯖寿司が京寿司の本来だったこと伺わせる。

鯖寿司

鯖寿司(画像出典:wiki)

ただし京都の鯖寿司は大阪のバッテラとは異なり、押し寿司と言えそうで言えそうでない。加えてwikiによれば、1892(明治25)年には、バッテラの本場大阪でも、江戸前寿司が主流になったとあるから、京都人にも珍しくはなかっただろう。

ただし大阪と違い内陸の京都では、ネタの新鮮さが求められる江戸前寿司が、まだまだ主流にはなり得なかったかも知れない。再び組合のHPによれば、「京都のちらし寿司には生ものは乗せません。時間が経っても大丈夫なように、火を通したものや、お酢で締めたものが盛られています」とあり、これを裏付ける。

この点重要な電気冷蔵庫が、三井物産によって米国から初輸入されるのは、wikiによれば1923年のこと。それ以前は明治末年頃より、氷冷蔵庫が一部あったようだが、夏の暑さで知られる京都の寿司屋に、どれほど普及していたかはわからない。

もう一点wikiによれば、先生の郷里岩国には、郷土料理として岩国寿司があるという。箱を使って押し、切って供するまことに押し寿司らしい押し寿司で、先生が押し寿司を想像したのはむしろ、こちらが理由と考えたい(画像出典:wiki)。

岩国寿司

岩国寿司

岩国寿司 岩国寿司

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