現代語訳
開戦以来、ドイツの経済運営が着々と国家主義で実行されていることは、すでに諸君もよくご存じだろう。話の順序としてその一例に、パンとパン用穀物についてドイツが実行した政策の一つを述べよう。
ドイツ政府は昨年(1915年)の1月25日、まずパン用穀物と穀粉類を差し押え、専売を断行している。当時の布告文に、「連邦参議院の決定により、帝国全土で全種類のパン用穀物と穀粉を差し押さえる。……すべてのパン〔原料〕粉は、その給養すべき人口の割合に応じて、町村団体に分配する、うんぬん」とあるのがそれだ。
このように全国にわたってパンの原料を国有にすると同時に、その分配に関しては、すべての人民を通じて1日1人の消費量を25グラムと定め、これにジャガイモのデンプンを加えて、1週間に2キログラムを給付することに決めた。
有名なパン切符制もこの結果で、上は皇帝の一族から下は庶民に至るまで、すべて家族数に応じてパン切符の配付を受け、この切符なしでは誰もパンを口にすることができなくなった。
東京大学の渡辺教授はこれを評して、「まさしく政府の権力をもってする社会主義の実行である」と言っておられるが(同氏著『欧州戦争と独逸の食料政策』98ページ)、もし社会主義の語を避けたければ、これを国家主義の実行と言ってもよい。
これはただ一例を示しただけだが、今日のドイツには、産業上すべての方面にわたって、このような国有主義・国営主義が実現されていると見て、だいたい間違いない。
さすがの英国でも、J・H・スミス氏※1の言ったように、だいたいは同じ方向に向かっている。たとえば去月(11月)19日発のロイター電※2を見ると(同20日の『大阪朝日新聞』掲載)、英国にも食料品条例ができて、全ての食料品の浪費を禁じ、各食料品の消費限度を設定することなどの権限が、商務院の管掌事務として認められたそうだ。昨年(1915年)の1月からドイツが実行している政策を、英国ではこのごろになって着手したわけだ。
いかに国民の生活必要品でも、その供給を営利を目的とする一私人の事業に任せたら、問題なく全国民に行きわたりはしない。またぜいたく品の生産は、一国の生産力を浪費してどんなに国民全体に損害を及ぼしても止まない。余裕のある人々が金を出して買う以上、営利を目的とする事業家が、争ってその生産に資本と労力とを集中するからだ。
それは従来の経済組織では、とかく避け難いことだ。そこで貧乏撲滅の一策として、経済組織の改造論が出るのだが、幸か不幸か、ドイツもイギリスもフランスも、国運を賭ける大戦に出会ったために、今や一挙に経済組織の大改造を企てている。
こう考えてみると、収穫の時期はすでに来た。アダム・スミスによって産まれた個人主義の経済学は、すでにその使命を終えた。今は新たな経済学が、まさに産まれ出て当然の時だ。世界の機運が、とうとうとして移りゆくさまを見るといい※3。
昔のことばにいう、全ての谷川はやがて海に帰り、全ての異国は都へ頭を下げに来る※4と。こうして古今を考え東西を観察する、これまた読書人の楽しみに違いない。うふふ※5。
(12月4日)※6
訳注
ここで最近数回、原文の新聞紙面掲載年を、1917だと勘違いしていたことを白状しておく。関連記事は既に修正済み、のはず。
※1)J・H・スミス氏:ジェームズ・ハルデーン・スミス。前回参照。
※2)ロイター電:原文「ルーター電報」。
※3)…見るといい:現代の目で見ると、ドイツの事情に限っては一考を要する。この回が新聞に掲載された1916年末当時、ドイツ皇帝も文民政府も実権を失っており、参謀総長・次長だったヒンデンブルク・ルーデンドルフ主導の軍部独裁と言っていい。
特にルーデンドルフは、次長職を首席上級兵站監(Erster Oberquartiermeister)なる名称に改め、ヒンデンブルクをお飾りに、内政の各分野を統制していった。統制が戦争の要請から来たことは河上先生の説の通りだったが、統制は統制者の誤判断によって事態を悪化させる。
事実ルーデンドルフはアメリカの戦力を「0(ヌル)、0、0だ!」と叫んで無視し、敗戦の大きな原因を作った。視野の狭い秀才には、たとえ実戦の功績があっても、全権を委ねてはならない一つの例であろう。
事実彼は敗勢が明らかになると、その責任を他に転嫁するために、自らの知能影響力を全面投入した。平沼騏一郎に代表される日本の秀才同様、彼のごとき秀才官僚とは何であるかが、よくわかる。
なお後にヒトラーが世に出るきっかけを作ったのがルーデンドルフであった事も、これまた記憶に値する。
※4)全ての谷川は…:原文「千渓万壑(せんけいばんがく)滄海(そうかい)に帰し、四海八蛮帝都に朝す」。
※5)うふふ:原文「噫(ああ)」。嘆きであれ喜びであれ驚きであれ退屈であれ、思わず出る声を指す(『諸橋大漢和』巻二-1159)。あくびの「ふぁ~」と訳しても良いし、「すごいぜ!」と訳してもいっこうにかまわない。むしろその方がいいかも知れない。
※6)12月4日:この時点で、一次大戦最大の会戦だったソンム反撃は終了している(11/18)。この1916年は、海ではユトランド沖海戦(5/31)、陸ではヴェルダン要塞攻略戦(2/21-12/19)があり、大戦のヤマ場と言える。事実翌1917年には無制限潜水艦作戦とアメリカの参戦、ロシア革命があり、戦争の構造が大きく変化した。
一方日本については、開戦(1914年)初期の青島・南洋群島攻略戦はとうに終わっており、言わば対岸の火事だった。英国からの再三の要請によって艦隊を地中海に派遣するのは、翌1917年の2月からになる。