『貧乏物語』十の一 現代経済組織…

現代語訳

現代経済組織の下で、個人主義のもたらした最大の弊害は、多数人の貧困だ。しかも今日の経済組織が維持される限り、それによって社会には貧富の格差が残る。そこでの金持ちが、金に任せて様々なぜいたく品を欲しがってばかりいる限り、到底この社会から貧乏を根絶する望みがない。だから、ついに経済組織の改造論が出ることになった。

詳しくいえば、商品の生産を私人の営利事業に任せっぱなしにする今日の組織を変更し、重要な事業は大部分を公営に移し、直接国家の力で経営していくことだ。たとえば今日の軍備や教育のような制度とする主義がこれで、私は先の個人主義に対して、ひとまずこれを経済上の国家主義という。

学問上から言えば、国家は社会の一種に過ぎないから、国家というよりも社会という方が意味するものが広い。だから個人主義に対する主義は、社会主義と言っても間違いではない。しかしわが国での社会主義は、一種特別の危険思想を持つ者によって提唱されたためか、その言葉に一種特別の意味が付け加えられるのが普通だ。

西洋でも同様の傾向はあるが、おおざっぱに言って今日この言葉の意義は全く確定していない。だから社会主義はほとんど何でも意味するとまで言われている。日本での社会主義は、経済組織の基本として国家の存在を認めず、労働者階級だけの利益を主眼にして世界主義を主張し、ひどいのになると無政府主義を主張するかのようにさえ、思われている。

だから私はこれと混同されるのをおそれ、社会主義という言葉をわざわざ避けて、国家主義という。どちらにせよ個人主義・民営主義に対する、共同経営主義※・公営主義を指すにほかならない。しかし私は読者、数十万の読者がことごとく、この点〔、つまり私が天皇制廃止や政府転覆といった危険思想の持ち主であるかのように〕誤解しないよう、心から願う。

さて読者諸君が、もし以上の説明をすなおに受け入れられるなら、私は次に、以下の一文を諸君に紹介する。
ジェームズ・ハルデーン・スミスという人が本年(1916年)公刊した、『経済上の道徳』と題する序言の付記。――

「以上の序文を書いた後、事件の進行を見ていると、ヨーロッパの交戦国は次第に、その産業を広範囲にわたって、共同経営主義で組織することになった。ドイツの場合が特にそうだ。現にドイツ筋から出た一記事にはこうある。

『開戦以来ドイツの軍国主義は、国民の生活状態も政府の手によって引き続き支配することになり、その結果ドイツには、一つの社会主義的国家が実現されようとしている。つまり、一般食料品の価格が政府によって決められているだけでなく、穀物・ジャガイモ・鉄道や全国の工場も約6割までは、すべて政府の手に支配されている』

英国やフランスでも、情勢は同じ方向に進んでいる。〔知性も社会的な影響力も〕有力な評論家が長いこと非難していた、個人主義的・競争的な資本家制度は、戦争の圧力の前には、到底維持できない。それをこれら諸国の政府は今や、実際に認めるようになった。

もともと個人主義的な経済組織は、平時でも維持できない。だから遠からず〔政府だけでなく、〕一般にも認められるようになるだろう。とりわけ戦後に起こるはずの、新たで困難な事情の前では、必ずそうなると信じる*。」
* James Haldane Smith, Economic Moralism, 1916, Preface, p. 12.

これを読むと、軍国主義に支配されているドイツは、今や一個の社会主義的国家になろうとしていると言うわけだ。私は原文に社会主義とあるから、ここでも社会主義と訳しておいたが、多くの読者にとっては、あるいは国家主義と訳した方がわかりやすいと思う。

いずれにしても、ドイツが開戦以来実行している社会主義なるものは、決して非国家主義や無政府主義ではないこと、それと私が先に、国家主義は社会主義と言い換えてもさしつかえないと述べたことも、おそらくすべての読者が異議なく認めると信じる。戦争の最中に、ドイツ皇帝が非国家主義や無政府主義を実行するはずはないのだから。

そこで私はもう一つ、だんだん長くなるけれども、今度はドイツ人自身の感想を記して、今日の話を終わりたい。本年発行の『社会政策及び立法に関する年報』第4巻(第5冊及び第6冊合綴号)を見ると、ミュンスター大学教授プレンゲ氏の「経済発展の階段*」と題する一論があるが、その冒頭には次のように述べてある。

「われわれは1914年という年を、こう考えるしかないと思うようになった。それは経済史上の一大転機で、われわれの経済生活の上に、全く新たな時代が、この年とともに始まった。そしておそらくわれわれは、この新たな時代を、19世紀の資本主義に対して、社会主義の時代と呼ぶほかないだろう。」
* Plenge, Wirtschaftsstufen und Wirtschaftsentwickelung. (Annalen f. soc. Pol. u. Gessetzg., IV. Bd. 5 & 6 Hft. S. 495.)
(12月2日)

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訳注

※共同経営主義:原文「合同主義」。”unionism“にはあまりに多くの意味があり、いろんな所で使われるから、ひとまずこう訳しておいた。おおざっぱに言って”unionism”は「くっ付けたがること」で、今回の場合個人経営をくっ付けたがるわけだから、「共同経営主義」とするのが適当だろう。

なお今回、河上先生が腫れ物に手を触れるような態度で社会主義について述べている事情に関しては、幸徳事件も参照されたい。

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