現代語訳
上編 どれほど多くの人が貧乏しているか
驚くべきは、現代の文明国における多数人の貧乏である。一昨昨年(1913年)公にされたアダムス氏の『社会革命の理*』を見ると、近々のうちに社会には大革命が起こって、1930年、すなわちことしから数えて14年目の1930年を待たずして、現時の社会組織は根本的に転覆(てんぷく)してしまうと述べてある。今日の日本にいて、このような話を聞くと、われわれは大層不吉な言いぶんのように思う。
*Brooks Adams, Theory of Social Revolutions, 1913.
しかしひるがって欧米の社会を見ると、冷静な学者の口から、このような過激な議論が出るのも、必ずしも無理ではないと思われる事情がある。なぜなら英米独仏その他の諸国、国は著しく富んでいるのに、国民ははなはだ貧しいからだ。いやはや、実に驚くべきは、こうした文明国での、多数人の貧乏である。
私は今、無味乾燥な統計を列挙して、貧民がたくさんいることを証明する前に、私が言う貧民とは何かについて、一応だいたいの説明をしなければならない。
昔、釈雲解という人がいた。「私は勉学のため、故郷を離れてずいぶんになる。今、文政12年(1829)の秋、故郷へ帰ってみると、腹が立つやら気の毒やら、ということがあった。そこである晩明かりを点けて書き記した文章を、村人に与えた」と言って、『生財弁』一巻(『通俗経済文庫』第二巻に所収)を著わした。
その中にこうある。「貧乏もそれゆえ差別されるのも、誰でもいやがることだ。だから本当に貧乏がきらいなら、自力で金持ちになろうとするべきだ。今、私が論じるのは、その方法である。はじめに、世間の貧乏人と金持ちを4つに分類しよう。1つは貧乏人の金持ち、2つは金持ちの貧乏人、3つは金持ちの金持ち、4つは貧乏人の貧乏人。」この説に従うなら、貧乏人には金持ちの貧乏人と貧乏人の貧乏人との2種あることになる。
今私もまた、腹が立つやら気の毒やら、である。だからこの物語を公にするのだが、釈雲解とは意見が違うから、貧乏人の分類もやはり異なる。つまり私は、貧乏人を3つに分類する。
1つめの貧乏人は比較の問題で、金持ちに対しての貧乏人である。比較の問題だから、貧富の差が絶対になくならない以上、いつでもどこでも、一方には必ず富んだ者があり、他方にはまた必ず貧しい者があることになる。たとえば久原に比べたら渋沢は貧乏人であり、渋沢に比べたら河上は貧乏人であるという類だ。しかし私が、欧米諸国にたくさんの貧乏人がいるというのは、このような意味の貧乏人をさすのではない。
貧乏人ということばは、英語で言うpauper、すなわち扶助受給者の意味に解することもある。かつて阪谷博士※1は日本社会学院の大会で、「貧乏ははたして根絶できるか」との講演を試み、できるとしてその論を結ばれたが、博士のいう貧乏人とは、ただこの受給者をさすのだった(大正5年発行『日本社会学院年報』第三年度号)。
私はこれをかりに、2つめの貧乏人と名づけておく。つまりは他人の施しを受け、人の慈善に頼って、その生活を維持する者を指す。この意味での貧乏人の数は、西洋諸国では決して少くない。たとえば1891年イングランド※2(ウェールズを含む)の貧民で、公の扶助を受けた者は、全人口千人につき平均54人。すなわち約18人に1人の割合※3であり、65歳以上の老人なら、千人につき平均292人、すなわち約3人に1人の割合だった。この統計は古いけれども、これでだいたいの様子がわかる。
そういうわけで、この種の貧民に関する問題も、西洋諸国では古くからずいぶん重要な問題にはなっている。しかしこれもまた、私がこの物語で問題とするものではない。
私がここで、西洋諸国にはたくさんの貧乏人がいるというのは、経済学上特定の意味がある貧乏人のことで、かりにこれを3つめの貧乏人といっておく。そうしてそれを説明するためには、私はまず、経済学者が言う貧乏線*とはなにかを、説明しなければならない。
*”Poverty line.”
2つめの貧乏人:他者の施しで生活する貧乏人
3つめの貧乏人:”貧乏線”前後の貧乏人
(9月12日)
訳注
※1)阪谷博士:阪谷芳郎?
※2)イングランド:いわゆるイギリスは、4つの地域の連合体で、首都ロンドンを含む最も大きい地域がイングランド。ウェールズはその西の地域。
※3)約18人に1人の割合:2013年3月の生活保護受給者は、216万1,053人という。これは都道府県別人口16位(2010年)の長野県民の数より多い。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130612/k10015243581000.html
これを2010年の国勢調査数で割れば1.7%、60人に1人の割合となった。