現代語訳
この物語は、1916(大正5)年9月11日より同年12月26日にわたり、断続して大阪朝日新聞に載せてもらったものである。今これを一冊子にまとめて公表するに当たり、私は何度か訂正増補を企てた。けれども、筆を入れれば入れるほど、統一が破れてボロが出る感じがする。だからほんの一、二文字を改めたほかは、加筆した部分もすべて取り消して、ただ各項の下へ、掲載された新聞紙の月日を記入するにとどめておいた。
ただし貧乏線を論じた後で、額田博士の著書を批評した一節は、その後同博士の説明を聞いて、私にも誤解があったと信じた。ゆえにその一節は削除して、そのあとへ他の記事を書き加えた。また英国の食事公給条例を述べた項の下には、事のついでと思って、この条例の全文を追加しておいた。つまりはこの二個所だけがおもな加筆だが、しかしそれでさえ、こうして印刷してみると、いかにもよけいなこぶができたようで、むだなことをしたものだと後悔している。
過去十数年間、私はいろいろな物を書いたけれども、この論文ほどまとまったものはない。自分ではこれが今日までの最上の著作だと思う。とはいえ、――念のために付け加えておくが――世間の相場でこれを良書の一つと認めてもらいたい、という要求をする気は毛頭ない。
人はパンのみにて生くものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらず、というのが、この物語の全体を貫く、著者の精神の一つである。思えば経済の問題が、真に人生の問題の一部となり、また経済学が真に学ぶ価値のある学問となるのも、全くこの精神のためだろう。
昔、孔子はこう言った。富にして求むべくんば執鞭(しつべん)の士といえども吾れまたこれを為なさん、もし求むべからずんば、わが好むところに従わん※1、と。
昔の儒学者がこれを読んで、こう解釈した。「富が得られるものなら、卑しい仕事だって私はしよう。しかし願っても金持ちにはなれない。だから自分の好きなように、昔の人の教えに従って生きよう。」
これはおそらく、孔子の真意を理解したものではない。孔子はこうも言ったではないか。「朝、人生を悟ったなら、その晩に死んでもいい(朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり)※2」と。
だから孔子が「富にして…」と言ったこころは、「人生唯一の目的は、人生を悟ることだ。人生の目的が富なら、好き嫌いで富を避けはしない。どんなに賤しい仕事でも、働いてお金を稼ごう。しかし人生の目的は富じゃない。だから、自分の信念に従おう」ということだ。
これはあながち的外れな理解ではあるまい。だから私は孔子を敬いながら、この物語で富を論じ貧を論じようと思う。そもそも経済学者のある者は、いわゆる物質的な進歩――富の増殖――だけで、文明の尺度とする傾向がある。しかし私は、できるだけ多数の人が人生を悟れる社会、それだけが、本当の文明の進歩と信じる。
もう一つ、私は信じることがある。経済学者という、現在の境遇に私は満足しているだけではない。毎日富を論じ貧を論じて、全然飽きないのだ。その理由は、昔、孟子(もうし)がこう言った、その言葉を信じる、それだけが理由だ。
「まとまった財産がなくても、心穏やかでいられるのは、人格者だけだ。普通の人は、財産がなければ気まま勝手に悪いことをする。それでますます、人生を悟ることができなくなる(恒産なくして恒心あるは、ただ士のみよくするをなす、民のごときはすなわち恒産なくんば因って恒心なく、いやしくも恒心なくんば放辟邪侈、ますます道に遠ざかるを免れざるに至る)。※3」
ラスキン※4の有名な言葉に、 There is no wealth, but life.(財産なんてどうでもいい、ただ人生があるだけだ)というのがある。富は人生の目的――人生を悟る〔、そしてよりよく生きる〕という人生唯一の目的、それを達成する手段としてのみ、意義があるに過ぎない。だから私が、人類の社会から貧乏を退治しようと願っている理由はただ一つ、貧乏のままでは、人生を悟ることができないからだ。こう思っている私だから、読者が私を指さして、あの人は〔すぐにカネカネと言う〕、ぜいたくな生活を人生の理想だと思っている、と考えないなら幸いである。
私がこのように、経済生活の理想化を説くのは、それこそご立派な理想を偉そうに話すのに似ている。しかしその理想を、私自身が実行できるとは、とうてい言えない。だからできるのはせいぜい、普段から思っている、やむにやまれぬ思いを語ることだけだ。読者がこの心を読み取って、私の話を放り出さないなら、私の心は、この上ない満足だ。
巻頭に掲げる画像は、経済学の開祖アダム・スミスの肖像である。今や氏が永眠してから百有余年、時の移り変わりによって、その学説を改めなければならないところが、少なくないと言える。しかし、この経済学を学ぶ者なら、どんな人でも、氏の学恩を受けない者は、ほとんどいない。とりわけ氏が深く物事を考えて、ことわりを求めたその足跡は、すべて後学の模範とするべきものがある。これが、その画像を巻首に載せて、ささやかながら追慕の意を表す理由だ。
原図はアダム・スミス永眠後20年、すなわち1811年の11月25日、ロンドンの一書店が発売した一枚売りの肖像で、今は京都帝国大学付属図書館に蔵するもの。印刷の都合により、画像とその下の数行の文字との間隔を、少し縮めたほかは、きわめて忠実に原図を複写したものだ。
この物語には、ちまちまと注釈を入れなかった。これは何も、面倒くさかったからではない。ただ、読むなら全部読んで欲しい、それが著者の希望だからだ。
なお付録としてロイド・ジョージに関する、私の文章を二つ入れておいた。一つは昨年の7月に執筆したもので、他は本年の1月、原稿になったものだ。思えば氏は、真に貧乏根治の必要を理解した大政治家の一人として、著者が普段、最も尊敬する人だ。それが、この物語に収録して、尊敬の証とする理由である。
本書の装幀(そうてい)はすべて舎弟の手を煩わした。すなわち本書の印刷と発行は、全部京都で行った上、文章と装幀に至っては、ことごとくわが家の産物である。だからこの本ができあがった日に、もしその1冊を父に送ったなら、たぶんニコニコと、しばらくはこの本を手に取ったままでいるだろう。
1917(大正6)年1月25日
京都 河上肇
訳注
※1)『論語』述而第七-11より。
子曰。富而可求也。雖執鞭之士。吾亦爲之。如不可求。從吾所好。
(訳)孔子先生が言った。「財産稼ぎというものが、もしやれば出来るものならば、たとえ御者にだろうと、私はなろう。もし稼ぎたくても出来ないのなら、好きなように生きていくさ。」
※2)『論語』里仁第四-8より。
子曰。朝聞道。夕死可矣。
※3)『孟子』梁恵王 上より。
無恆產而有恆心者、惟士為能。若民、則無恆產、因無恆心。苟無恆心、放辟邪侈、無不為已、及陷於罪。
※4)ジョン・ラスキン?