※以下は、河上先生の随筆「断片」についての感想として訳者が書いたもの。
周旋とはクルクル回る事を言う。
周旋家とは、あちこち歩き回って、人や組織同士の取り持ちをする者を言う。自分では何も生み出さないが、世の中の潤滑油にはなっている。ただそういう仕事を得意とするだけあって、どこにもうまい話をせねばならない。油断がならんと言うべきか。
こういう者は役人や事務の勤め人、とりわけ奴隷頭に向く。だから概ね出世が早く、世間的な信用を得る者が多い。伊藤博文は周旋家として世に出たが、その後出世し続け総理にまでなった。お小遣いをねだれるほど、明治天皇に可愛がられもした。
伊藤より遙かに小粒な周旋家に、澤柳政太郎という男が居た。東京帝大哲学科を出て文部役人になり、様々な政治家の手下仕事をした。義務教育の無償化とか2年延長とか、高等学校の増設とかだ。これを彼の手柄に書く文章も、ネットには多い。
ものが見えないと言うべきで、いずれも金のかかる事、政治家が都合してその気にならねば、一小役人に出来る事ではない。お陰を被った者がそう書くのはまだ分かるが、関係のない私には、インチキ神サマの御利益を書いたように見えてならない。
この男は役人の間は、私学の邪魔をして回ったという。恐れ多くも陛下のなんたらとか、そう言う事も言ったかも知れない。ところが時の流れで私学の校長になると、一転して私学振興とか自由教育とか言い出すようになった。それも相当強力に。
それゆえ日本の自由教育の祖とか言われもしている。確かにそうかも知れない。だがこんな男が隣に座れば、その臭気で私は脂汗を流して嘔吐しかねない確信がある。しかし世人は喜んで、揮毫や握手を求めるに違いない。でなければこの男は。
今讃えられている仕事が出来なかったに違いない。人を踊らせねば出来る事ではないから。この男の座右の銘は、随時随所楽しまざる無しだそうだ。なるほどそうに違いない。実は私も同じだが、やり口はこの男と全く違う。男のは奴隷頭だから。
晩年には貴族院議員になり、勲一等瑞宝章まで貰ったそうだ。恐れ多くもとかいうアホダラ経が、人を脅して発狂させていた帝政時代の事だから、男は自分が紛れもない奴隷である事に、死ぬまで気付かなかったに違いない。それもまた人生。
160420-2005
ついでながら。
史上有名な周旋家に、坂本龍馬もいる。周旋家だから、もちろん良心を持たず平気でウソをついた。薩摩の回し者に斬殺されるまで、自分が奴隷とは気付かなかったに相違ない。自己解放した人間が、有り難がる価値のある人物とは思えない。
そして高知人はそろそろ、司馬さんののろいから覚めてもいい頃だとも思う。私は土佐のお人達に、本当に良くして貰った記憶があるから、何だか心配なのだ。
2016/04/20 20:18投稿 2016/04/25 23:16更新