現代語訳
同じような話が重なるので面白くないが、物語を進めるために、今一つ似通ったお話をしなければならない。それは今よりわずかに5年前、1911年に英人ドーソン氏が発見した、人間の骨の化石※のことである。
ドーソン氏はこれより先数年前、英国サセックス州のピルトダウンにある、共有地に近い畑で道路を作るために土を掘った時、人間の頭頂骨の小片を発見したことがある。ところが1911年の秋、氏は同じ場所から出た発掘物の中から、先に発見した頭蓋骨の他の部分で、額に相当する大きな骨と、鼻から左の目にかけての部分に相当する骨とを発見した。
そこでこれは大いに研究の価値があると確かめたので、1912年の春、すなわち今から4年前に、人夫を雇って大捜索を始めた。ところが骨は方々に散ってしまった様子で、容易には何も発見できなかった。しかしそれに屈せずなお根よく捜していたら、やっと顎(あご)の右半分が見つかり、さらにそこから1mばかり隔てた所で、後頭骨を見つけた。
なおその翌年、すなわち今から3年前には、フランスの人類学者のテイラー氏が同じ場所を重ねて発掘して、さらに犬歯を1本と鼻の骨とを発見した。そんな関係から、この人間の頭の骨もほぼ整ったのだが、学者の説によると、これは今から10万年から30万年前の、人間の骨だという。
さてこの人間を、今日学者が名づけてエオアントロプス(あけぼのの人)といっている。そうしてこの人間が、果たして今日の人間の直系の祖先か、または同じ祖先から出た枝で、すでに子孫の絶滅したものかとなると、学者の説がまだ一致していないそうだが、ともかく前回に述べたピテカントロプス(猿の人)と比べると、年代も新しく、かつ今日の人間に近い系統のものだということは、今日何人も疑わぬところだ。
ところがここで最も興味深いのは、このエオアントロプスになると、確かに道具を造っていたと言える事だ。現に先に述べた頭蓋骨の出たその地層から、ただ1つだけ燧石(ひうちいし)が発見された。面白いことには、その石器は自然のままの物ではなくて、確かに造られたものだ。しかし細工は片面に施してあるだけで、製造された石器の中では最も幼稚なものだそうだ。(オスボーン前掲書135ページ)。
さてだいぶ余談にわたったようだが、私がここに50万年前から30万年前の、猿とも人ともわかりかねるような人間の話をしてきたのは、諸君に次の事実を承認してもらうためだ。それは、今日でいう人間と、道具を造ることとは、きわめて密接な関係を持っていることである。
前に述べたように、50万年前のピテカントロプスは、果たして道具を造っていたかどうか、それには確かな証拠がない。ところがそれよりもはるかに今日の人間に近い、30万年から10万年前のエオアントロプスになると、これは確かに道具を造っている。しかしそれと同時にその道具は、製造された道具の中では最も幼稚で、すなわちエオアントロプス=あけぼのの人の造った道具は、やはりあけぼのの道具、とでもいうような物なのだ。
左はマグレゴア氏が製作した、エオアントロプスの模型で、英国サセックス州でその遺骨を発見された、約10万年から30万年前の人の面影である。
右はおなじくマグレゴア氏が製作した、ピテカントロプスの模型で、本文中に記載した通り、ジャワでその遺骨を発見された、約50万年前の人の面影である。
私はこれ以上、道具の歴史を述べないが、要するに我々が人間進化の歴史を顧(かえりみ)ると、人間は人間らしくなるほど、それにつれて次第に道具らしい道具を作るようになる。そして人間の経済が、今日他の動物社会の経済と、比較を絶するまで発達したのも、とどのつまりは、この道具のたまものにほかならない。
(10月14日)
訳注
※ドーソン氏が発見した…化石:この捏造の経緯については、リンク先を参照。