『貧乏物語』三の三 ちょうど南ア戦争の…

現代語訳

ちょうど南ア戦争の終わる少し前、1902年の初めに、英国のフレデリック・モーリス陸軍少将※1は、『コンテンポラリー・レビュー』という雑誌に、「国民の健康」と題する論文を発表した。その中で、今日英国の陸軍における志願者は、だんだん体格が悪くなって、5人の中でやっと2人だけ、合格者を出せるありさまだという※2

「この5と2との間に横たわる意味を研究するのは、実に今日、国家死活の問題である。これは兵士の大部分を供給すべき階級の人々の体格が、今日これほどの割合で退化していることを意味するのか。もしそうなら、この恐るべき事態の原因はそもそも何か。それははたして救済できるか。」

この論文は、当時大いに政府と民間の識者の注意を喚起し、第一に問題にされたのは、学校の体育に何か不充分な点があるのではないかということだった。そこで国王は直ちに委員を任命して、大学以下各種の学校を通して、体育上どんな改良が必要かを調査させた。ところがその委員会でだんだん調査してみた結果、ついに発見された事がらは、少なくとも小学教育の範囲では、問題は学校での体育の訓練が足りないのではなくて、全く児童の食事が足りないからだとわかった。

たとえばエディンバラ市のある区では、児童の約三割が栄養不足で、こういう子供に学校で過激な体操をさせると、発育上よい結果をもたらさないばかりか、かえって害を生じているとわかった。すなわち軍人の体格が次第に悪くなるおもな原因は、次の時代の国民を形造るべき、児童の多数が貧乏線以下に落ちているからだとわかったのだった。

この一例でもわかるように、一見すればほとんど経済問題となんの関係ないと見える問題でも、よく研究調査してその根原にさかのぼってみると、大概の問題が、皆、経済と密接な関係をもっている*。今日の世の中には、いろいろむつかしい社会上の問題が起こっているけれども、その大部分は、われわれの目から見ると、社会の多数の人が貧乏しているのが原因だ。

政治・軍事・社会問題の大部分は、経済問題にほかならず、とりわけ貧困に原因がある。

ホランダー氏が一昨年(1914年)公刊した『貧乏根絶論』の巻首に、「社会的不安は二十世紀の生活の基調音である。この不安はいろいろの方面に明らかに現われている。産業上の諸階級間の不平、政党各派の争い、世論の神経過敏、経済上の諸調査が熱心に行なわれていること等がそれである。……しかしその根本の原因はどこでも同じ、すなわち貧乏とその痛苦にほかならない。これが社会的不安定の中心であり中核である*」と述べているが、私も全く同感である。
* Hollander, The Abolition of Poverty, 1914. p. 1.

昔、孔子は「ちゃんと食わせて、国防を十分にすれば、政治への信頼を得られる※3」とおっしゃったが、考えてみるとまことに食わせるということは、政治の第一要件である。食わせてその後に、やっと強い軍人を養成することもできれば、また教育道徳を盛んにして、政治への信用を得ることもできるからだ。

世の中には教育万能論者がいて、何か社会におもしろくない事が起こると、すぐに教育者を責める。けれども、教育の力にもおのずから限りがある。ダントンの言ったことばに「パンののちには、教育が国民にとって最もたいせつなものである」というのがあるが、このパンののちにはという一句は、千鈞(せんきん)の重みがある。

教育はまことに国民にとってたいせつなものではあるが、しかしその教育の効果をあげるためには、まず教わる者に腹一杯、飯を食わしてから始めなければならない。いくら教育を普及したからとて、まずパンを普及させなければだめである。

(9月25日)

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訳注

※1)フレデリック・モーリス陸軍少将:John Frederick Maurice

※2)同様の問題がのちに日本でも指摘され、寺内寿一(寺内正毅の長男)が陸相在任時(第42代:1936年 – 1937年)に衛生省(現在の厚労省)の創設を提唱したとされる。

※3)『論語』顔淵第十二-7より。

子貢問政。子曰。足食。足兵。民信之矣。子貢曰。必不得已而去。於斯三者何先。曰。去兵。子貢曰。必不得已而去。於斯二者何先。曰。去食。自古皆有死。民無信不立。
こうまつりごとう。わく、しょくらし、へいらし、たみこれしんず。こうわく、かならむをずしてらば、三者さんしゃいてなにをかさきにせん。わく、へいらん。こうわく、かならむをずしてらば、しゃいてなにをかさきにせん。わく、しょくらん。いにしえよりみなり、たみしんくんばたず。

(訳)(孔子先生の弟子の)子貢があるべき政治を質問した。先生が言った。「民に十分食べさせて、軍備を整えれば、民の信頼は自然に得られる。」
子貢が質問した。「三つのうちどれかが難しいとしたら、どれを省きましょうか。」「軍備を省きなさい。」「残り二つのうち一つを、どうしても省かなければならないとしたら?」「食料だな。昔から飢えて死なない人間はいないが、民の信頼を失ったら、政治はそこでおしまいだ。」

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