現代語訳
五条河原の乞食の話は、話ぶりがあまりに巧みなので、ついそのまま転載させてもらう気になった。もし私の記憶が間違っていなければ、かの大燈国師も、同じく五条の橋の下で、しばらく乞食を相手に修養をしておられた。その時の作になる
座禅せば四条五条の橋の上
ゆき来きの人を深山木と見て
(座禅するなら橋の上、行き交う人もまた山奥の樹木、これぞ修行の最適地)
という歌は有名だそうだ。
さてここで注意しなければならないのは、大燈国師のような偉い人なら、乞食のまねをしてもよいということだ。しかし我々ごとき凡夫(ぼんぷ)だと、孟子が言うように、恒産(こうさん)なくんば因(よ)って恒心なしだから、心も魂も堕落こそすれ、とても明徳を明らかにするとかいった、人生の目的を実現する方向に進めるものではない。
そこで同じ貧乏を論じるにつけても、自発的な貧乏、すなわち自ら選択した貧乏と、強制的な貧乏、すなわちやむを得ない貧乏との区別を、充分にしてかからねばならない。もちろん私がここで論じるのは、押しつけられた貧乏である。
話がここにきて、私はハンター氏の『貧乏』の巻首にある、次の一節を思い起こさざるを得ない。
「トルストイはすごいことを成し遂げた。彼にあれ以上をやれというのは無理である。高貴な貴族が、遊んで食うのを拒絶し、手ずから働いて、最近まで奴隷階級だった百姓※1と、苦労を分かち合ったのが、彼のできる最大の事業だ。
その彼でも、百姓と貧乏を分かち合うのは、到底不可能である。なぜなら貧乏とは、ただ物の不足を意味するのではないからだ。欠乏の恐怖と憂い、それがすなわち貧乏だ。そんな恐怖はトルストイには、絶対にわかりようがない*。……」
* Hunter, Ibid., p. 1.
実にロシアの一貴族として、その名を世界にとどろかせたトルストイにとっては、自発的な貧乏のほか、味わうべき貧乏はあり得なかったのである。
遠くさかのぼれば、昔慧可大師は片腕を断って仏法を求め、雲門和尚は片脚を折って悟りを得た。今このような達人の見地より見れば、いわゆる道のためには命も惜しまずで、手足さえ断ってもかまわない、この肉体を養うための衣食のごときは言うまでもない、場合によってはほとんど問題にもならないのである。
しかしこんな話は、千古の達人が深く自ら求めたところであって、自ら選択して飛び込んだ、ちょっと珍しい世界である。もしわれわれ凡夫がへたに悟って、無理に大燈国師のまねをして、みんなぞろぞろと乞食になったり、慧可・雲門にならって、皆が腕を切ったり脚を折ったりした日には、国はたちまちにして滅びてしまうだろう。
考えてみれば、貧乏が人の身心に及ぼす影響については、古来いろいろの誤解がある。たとえば艱難(かんなん)なんじを玉にす※2とか、富んだ人が天国に行くのは駱駝が針の穴を通るより難しい※3、とかいう。こんな言葉があるものだから、どうかすると、人は貧乏の方がかえって利益だというふうに、考えてしまう傾向がある。
古い日本の書物にも、「金持ちほど、苦労の絶えない者はない。ものが一つ有れば、一つ危険が増える。だから百品持った者より二百品持ったものは、苦の数が多い」などと書いてある。現に一昨昨年(1913年)には、スイスでいちばん金持ちの夫婦者が、つくづくなんの生きがいもない世の中だと言って、二人がいっしょに自殺を遂げたこともある*。
* Fetter, Economic Principles, 1915. p. 29.
だから人間は心の持ちよう一つで、場合によっては大小の刀を差して威張っている武士よりも、橋の下で眠ている乞食の方が、かえって幸福だ、というような説も出る。確かに私だって、金持ちになるほど幸福だと一概に言うのでは決してない。しかし過分に富裕なのが不幸だからといって、過分に貧乏なのが幸せだとは言えない。
繰り返して言うが、私がこの物語で貧乏というのは、身心の健全な発達を維持するに必要な物資さえ、得ることができないのを言う。だから、少なくとも私の言うような貧乏なら、その定義からして、必ずわれわれの身心の健全な発達を妨げるので、それが利益となるはずがないわけだ。
(9月24日)
訳注
※1)最近まで奴隷階級だった百姓:帝政ロシアの農民は、事実上移動の自由がなかった。これを農奴と言って、1861年までその制度が続いた。
※2)艱難なんじを玉にす:Adversity makes a man wise.(逆境は人を賢明にする)の意訳。
※3)富んだ人が…:『新約聖書』マタイ伝19章16節~30節より。