『貧乏物語』十二の五 私の倹約論は…

現代語訳

私の倹約論は、主に金持ちに聞いてもらいたいと言った。しかし私のいう意味のぜいたくは、多少の差はあっても、金持ちも貧乏人も皆それ相応にしていることだ。

水戸の黄門様が普段から紙を節約なさって、よそから来る手紙の裏紙を長短かまわず切り貼りし、詩歌の原稿にはそうした使い古しを使われたことは、よく知られている。現に水戸の彰考館に所蔵してある大日本史の草稿は、やはり反古紙を使ってあると、かつて実物を見た友人が私に語ってくれた。

また『蓮如上人御一代聞書』を見るとこうある。「蓮如上人がお廊下を通られたとき、紙切れが落ちていたのを御覧になって、仏様から頂いたものを無駄にするかやとおっしゃり、両の手でおし頂かれたことなどがあった。それ以外にも紙の切れ端のようなものでも、仏様の下さりものとお考えになっていたから、ものを無駄になさることがなかった。そのような上人様のお話がいくらもあります。」

紙切れ一片でも無駄にしない立場からは、普段から貧乏に文句を言う我々も、相応にぜいたくをしていると言わなければならない。

峨山禅師言行録』にこうある。「お付きの僧が、お師匠様の部屋の前にある、手洗い桶の水を取り替えた。それをそばでご覧になったお師匠様が、おもむろに口を開いた。

お前もお付きになって半年もたつから、もう気がつくだろうと思っていたが、言っておかないと生涯知らずに過ごす。物はなァ、大は大、小は小と、それぞれ生かして使わねばならない。水を替える時は、元の水をそこらの庭木にかけてやるのさ。それで木も喜ぶ、水も生きたというものだ。仏道の修行をするものは、ここらが用心すべきところだ。

また洗面の水なども、ざっと捨てずに、使ったあまりは竹縁に流して洗うのだ……。生まれた水一滴も、それで死にはしない、皆生きて働いたというものだ。良いことは隠れてしろ、と昔の人がやかましく言うのも、そういうことだぞ。」

水一滴も無駄にしてはならないというこの話になると、もはや経済論の外で、本来はこの物語の中に入れるべき記事ではないが、私は事のついでに、峨山和尚のお師匠に当たる滴水和尚の逸話も、ここに簡単に記しておこう。

滴水和尚が、かつて曹源寺の儀山禅師に弟子入りしたころのこと。ある日師匠の禅師が風呂に入ると、熱すぎるので、滴水和尚を呼んで水を運べと命じた。そこで和尚は何気なくそこにあった手桶を取って、その底にわずかに残っていた一すくいの水を投げ捨てて立ち去ろうとする瞬間、浴槽に浸っていた儀山禅師が大声で一声、ばかッとどなられた。

和尚はこの一喝で大いに悟って、すぐさま名を改めて滴水と号した。それ以来修業に長く励んでいると、次第次第に一滴の水の深い味を体得した。後に和尚が臨終の際に言葉を残すに当たって、その中に「曹源の一滴水、一生用いれど尽きず」の一句をのこされたのもこのためだという。

話が自然と横道にそれたようだ。しかし私がこれらの話を引き合いに出したのはほかでもない。ボロ長屋に住まう労働者でも、水道の水などはずいぶん無駄に使ってしまう。それもまた一種のぜいたくだと、読者に考えて頂きたいからだ。

私はここで一々、その場合を書き上げないが、おそらく多くの読者は、「私のいう意味のぜいたくは、多少の差はあっても、金持ちも貧乏人も皆それ相応にしていることだ」という冒頭に書いた断定を、否定しないだろうと思う。
(12月20日)

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訳注

※峨山和尚:峨山韶磧(がさんじょうせき)、鎌倉時代後期~南北朝時代の禅僧。建治2(1276)年~貞治5(1366)年。享年91。石川県能登の生まれ。總持寺第2世。大現宗猷國師。(wiki)

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